2023年9月23日土曜日

ICT教育の誤り

そもそも教育の世界に蔓延している根本的な誤りがあります。それは、産業社会のロジックを教育に持ち込んでいることです。

タイパなどという流行語がありますが、産業社会においてはこれが重要視されるのは当然です。限られた時間の中で、いかに効率よく作業をこなすか。それが、利益に直結します。同じ物を生産するのであれば、より少ない時間で作った方がいい。

しかし、人間を育てるとき、同じ人間が育つなら、より短い時間で育てた方がいいと言えるでしょうか。商品と違って、どうなれば人間が十分育ったと言えるのか、そこに定量的な答えを見いだすのは無理な相談です。

それなのに、私たち教員は、毎年、教育に数値的な目標を掲げ、評価することを求められています。まったく見当違いの方法なのですが、誰もそこに疑いを挟むことはしません。いや、まあ、疑っている人は多いかもしれませんが、みんな抵抗せずに黙々と無駄な作業をしています(これが、日本社会で生産性の上がらない最も大きな理由の一つだと思います)。

さて、本題のICT教育です。出発点は、これも産業社会にあります。かつて、アメリカの地位を脅かすほどだった日本の経済力は、近年、見る影もなくなりました。その原因の一つが、産業のICT化の遅れと見なされています。多くの企業が課題は分かっているのに、事態は一向に改善されません。

そこで、学校教育に白羽の矢が立ちました。学校教育をICT化すれば、その中で育った子どもたちが働くときには、すんなり産業のICT化が進むだろうという訳です。

ICT化によって、教育の効率化が進み、学力も向上するだろうと想定されているのでしょうが、果たしてそうなるでしょうか。答えを出すのに、時間が早いほうがいいというのは、テストでなるべく高い得点をとるためには、という限定の中でだけ通用する論理です。

本を読むのに、速読は無意味だと喝破した人がいましたが、読む早さは人それぞれです。私は活字を読むのがとても早いのですが、平湯先生は、とてもゆっくりでした。同じものを読むのに、私の数倍の時間がかかります。でも、理解の深さという意味では、私は、とても先生にかなわないと感じていました。

子育てや教育には、一見すると無駄に見える時間が山ほどあります。食事をするとき、カロリーと栄養という観点からは、甘いデザートなんか要らないと思いますが、食事を楽しむには欠かせないアイテムでしょう。特に子どもはそれを楽しみにしています。それを切り捨てることがよい子育てだとは思えません。

ICT化を進めること自体は構いませんが、教育の効率化を図ることで得られるものが教育のすべてではありません。ICT化で、教育の個別化・個性化が進むという意見もありますが、それは嘘っぱちです。残念ながら、現在のコンピュータは、生徒一人一人に最適の学び方を示せるほど進化してはいません。

むしろ、じっくり時間を掛けて、目には見えない、すぐには現れてこないかもしれない効果を信じて日々の営為を続けていくというのが、教育や子育ての本質だと思います。タイパでは計れない世界なのです。

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