今日は国語のサークルの日。
予告通り、来年度から使われる教科書をていねいに読んでいくことにしました。M社の教科書は全国でもシェアが一番多く、長崎県は来年度から全地区でこの教科書が使われることになっています。
一方、内容はかなり保守的。石原千秋さんが、国語の教科書は実は「道徳」の教科書だと分析したとき、材料にしたのは、M社のものです。
メンバーの多くが来年担当しそうな2年生から読み始めました。
全体に、現行教科書(M社)と比べて、ますますカラフルになっています。口絵や単元のはじめだけにあったカラー写真やカラーの図版が、随所に出てきます。
季節感や、古典とのかかわりを取り上げたページも多数。
本文に取り上げられている著者を登場順にあげると、
谷川俊太郎、椎名誠、清少納言、佐藤和之、馬場あき子、池上彰、伊勢英子、上田篤、三浦哲郎、向田邦子、布施英利、兼好法師、石川忠久
となります。新しく入った、池上さんや伊勢さんあたりが目を引きます。
とりあえず、最初の作品から読んでいきました。谷川俊太郎「明日」(『魂のいちばんおいしいところ』より)。
そもそもタイトルを「あす」と読むのか「あした」と読むのか。いろいろ議論しましたが、決定的な根拠を本文中には見いだせず。
あちこち教科書をめくっていたメンバーが、教科書の後ろに付録でついている常用漢字表から「明日」を探し出しました。熟字訓として「あす」とあります。「明日」の字を、「あした」と読ませる理由はどこにも見つかりません。「あした」と読ませたいなら、ルビがつくはずだということで決着がつきました。
次の椎名誠「アイスプラネット」は、教科書のための書き下ろし作品。なんだか、わざわざ教材として読むところもないような作品でした。さらりと読むだけで通過するだろうということで、みんなの意見は一致。
最後のオチに、2枚の写真が使ってあるのですが、これは小説としては禁じ手。次の教科書改訂のときはこの作品は消えているでしょうね。
最初の単元の最後には、『枕草子』の冒頭部分が出てきます。ありきたりですが、季節感をテーマに、生徒に文章を書かせるような展開にしたくなります。古典が、古典の単元ではないところに出てくるのも、新しい教科書の特徴と言っていいかもしれません。
>>そもそもタイトルを「あす」と読むのか「あした」と読むのか。いろいろ議論しましたが、決定的な根拠を本文中には見いだせず。
返信削除あちこち教科書をめくっていたメンバーが、教科書の後ろに付録でついている常用漢字表から「明日」を探し出しました。熟字訓として「あす」とあります。「明日」の字を、「あした」と読ませる理由はどこにも見つかりません。「あした」と読ませたいなら、ルビがつくはずだということで決着がつきました。
助かりました。
教科書なのに、不親切・・・
こんなささやかなところに気づいてもらってうれしいです。教科書って、ずっと使ってきてるんですが、よく見ると、案外やっかい。修行が足りない!ということでしょうか。
削除「明日」の読み方についてですが、この詩を合唱曲にしたものでは「あした」と歌っていました。
返信削除>>そもそもタイトルを「あす」と読むのか「あした」と読むのか。いろいろ議論しましたが、決定的な根拠を本文中には見いだせず。
あちこち教科書をめくっていたメンバーが、教科書の後ろに付録でついている常用漢字表から「明日」を探し出しました。熟字訓として「あす」とあります。「明日」の字を、「あした」と読ませる理由はどこにも見つかりません。「あした」と読ませたいなら、ルビがつくはずだということで決着がつきました。
このお考えにも非常に納得できるのですが、実際はどうなのでしょうね・・・。
ありがとうございます。探してみたら、たしかに、楽譜では「あした」となって、音符三つついてますね。じゃ、やっぱり「あした」でしょうか。もうちょっと調べてみます。
返信削除タイトルは「あす」です。合唱曲のものは長谷部匡俊作曲が本来のもので、教育芸術社の楽譜のタイトルも「あす」になっています。
返信削除ありがとうございます。何と、三つも曲がついているのですね。
返信削除初めて読ませていただきました
返信削除東京で中学教師をしています。
わたしも、「明日」をどう読ませるか悩みました。
ルビ付きで出版されたものもなく、上記の通り合唱曲では二通りで扱われているということなので。で、わたしは、「どちらで読むのがふさわしいか考えよう」という所から授業をしてみました。
「あした(日常的な音)」「あす(改まった音)」の違いを子どもたちに発見させるなどです。結局、一斉で読む時は「未来は日常の中にこそあって続くもの」という想いで「あした」と読ませましたが、子どもたちは「あす」で読んだり、第五連から「あした」と読んだりと考えていました。
ちなみに、生徒の祖父のなかに、谷川俊太郎の編集をしていた方がいらして、生徒が尋ねたところ「谷川俊太郎なら あした じゃろ」というお返事だったそうです。
何かの参考になればと思い、筆をとりました。
書き込みありがとうございます。みなさん困っていたのか、私のブログの中で、この項がダントツの閲覧数になってます。
削除「あす」で決めようかと思ってたんですが、そう簡単にはいかないようで、図書館で調べてみます(早く行けよ!)。
私は北海道の中学生です。
返信削除私は「明日」をあすと読むと習いました。
書き込みどうもありがとう。今日は市立図書館に行ってみましたが、根拠を見つけることができませんでした。
削除そう読む理由がほしいのです。
たまたま、私の中2の娘が「アイスプラネット」が教科書に載ってるお話では「ごんぎつね」以来泣けた話だと言っていたので、Googleで検索したらあなた方のところにつながりました。
返信削除あなた方がどんな目的でこのようなサイトを設けているのかわかりませんが、現役の中学生が泣けたという話を次の改定ではなくなるとおっしゃっている感覚が正直わかりません。
皆さんは現場から離れたところで、こんな評価をされているのであればまだましですが、現場の教師の皆様のご意見としての評価なら、写真を使ったことが小説としていけないような柔軟性にかける思考が国語の教育現場にあるとしたら残念です。
書き込みありがとうございます。
削除ここは、私の個人的なブログで、主に学校図書館のことを扱ってますが、余談として別の話題も出てきます。要するに、私が書きたいことを書くということです。
私も、小説の評価というのがそんなに固定的なものだとは思っておりません。新しい試みもあってしかるべきですし、泣けるという感覚を否定するつもりはまったくありません。私と生徒の間で作品の評価が分かれるなんてことは、むしろ日常茶飯事で。
でもね、私のこれつまんないよ、という感覚も否定しないでください。私の周囲の数名もどちらかというと否定的な評価でした。
写真は、新しい試みというより、つまんない小説のオチを無理矢理写真でつけたんじゃしょうがないだろうというところです。
教材として授業でどう扱うか、というのはまた別の話ですが、とにかく、これ、実際に読んでみてくださいよ。