School Library Rover
学校と学校図書館作りにまつわるいろいろ 手作りによる図書館改造を中心に
西海市立S中図書館
2026年7月1日水曜日
デジタル後進国 さらに続き
2026年6月29日月曜日
辺野古抗議船転覆事故 続き
少し前に、この事故の一番の原因は、小さな船に定員一杯の人数を乗せたことだと私は考えると書きました。他のいろいろなことは措いて、海に出て行く構えが甘かったとしか言いようがないのです。
もう一つ気になったのが、事故直後の対応です。海上保安庁への通報が複数あったようですが、それは、みんなこの船に乗っていた高校生からのものだったというのです。高校生が、あらかじめ保安庁の118番という電話番号を知っていたわけではないでしょうから、スマホで検索するなどして調べたのでしょう。
2艘のボートのうち、1艘が転覆した後、もう1艘がそれに気づいて、引き返して救助に向かったという経緯にも問題を感じます。
救助する力もないのにそれをしようとしたという地元の漁師のコメントがニュースで流れていましたが、普通の人が、転覆事故が起こるような海況の中で救助に当たるのは、極めて困難です。まして全長6mくらいの小さな船外機船に9人も乗っていては、ベテランの船乗りでも救助活動などできません。とりあえず現場に引き返したくなる気持ちは理解できますが、二次遭難の恐れがあるので、やってはいけません。転覆に気づいた後、船長がすみやかになすべきだったのは、海上保安庁への通報です。それが海の上での常識です。
報道によれば、これらのボートが出ていくとき、保安庁のボートから制止され、それを振り切って出かけた後の事故でした。だから、保安庁の船は、それほど遠くないところにいたはずです。事故後すぐに通報していれば、経過は変わっていたかもしれないと思います。
うがった見方をすれば、(その日だけでなく、たぶん日頃から)保安庁の言うことに従っていないので、通報したくなかったのだろうと思ってしまいます。
海上保安庁は、遭難した人が誰であれ、全力で救難に当たります。事故が起きたら、一刻も早く通報すべきなのです。このボートの船長には、海に出ていく者としての心構えが足りなかったと思います。
この事故を政治的に捉える人が多いようですが、政治的立場を云々する以前の問題だと私は思っています。
2026年6月27日土曜日
政治教育は可能か
お隣の中国では、政治的な問題について、権力を持つ中国共産党の公式見解と異なった意見を述べることは許されていません。何が正しいのかを決めるのは党(あるいはそのトップ)で、学校教育の中でもそれは徹底されています。
第二次世界大戦で、日本が中国に対してどんなにひどいことをしてきたか、なんてことは、中国人にとっては常識でしょう。それにもかかわらず、中国からの観光客はピーク時3500万人を超えていたそうです。高市さんの台湾有事発言の影響で、中国は、日本は危険だから行くなというキャンペーンを張り、渡航を控えるよう圧力を掛けたため、ぐっと数が減りましたが、隙あらばすぐにでもまた復活しそうな気配が濃厚です。
口には絶対出しませんが、政府が言っていることが必ずしも真実とは限らないと、みんな分かっているのだろうと思います。
これは、中国の政治教育の失敗とも言える事態ではないでしょうか。
翻って、日本。右寄りの人たちの一部は、日教組が子供たちに政治教育をしていて、このままでは日本が社会主義国家になりかねないと言います。しかし、戦後ずいぶん時間が経ちましたが、革新系の政党が政権を取ったのは、例外的で、ごくわずかな期間に過ぎません。
日教組が、過去に、かなり偏った教育をしていたのは事実だろうと思います。私自身も、小学校6年生のころ、組合員だった担任から、スーパーの肉売り場などが映ったソ連の宣伝ビデオを見せられ、ソ連は(貧しいわれわれ日本人とは違って)とても豊かで、肉をたっぷり食べていると教えられた覚えがあります。それが政治的プロパガンダとして作られたもので、事実とはまったく異なる内容だったと分かったのは、それから何十年も経ってからでした。
日本では、保守政権がずっと続いてきました。日教組が、もし政治革命を目指して教育活動をしていたのなら、それは大失敗だったということになります。
道徳教育を強調したがる政治家もそうですが、右翼・左翼を問わず、こういう人たちは、人間存在を単純に捉えすぎていると思います。子どもに、学校教育を通して何かを注ぎ込めば、すぐその色に染まるはずだと信じて疑わない。知識を注入すれば子どもの学力が上がると考える、知識偏重の教育観とも重なる考え方です。
中国が、あまり生きやすくない国であることはたぶん確かです。外国に留学するなどしていても、政府の締め付けは強くて、だから、中国が世界中から批判されるような事態が起きたときには、その批判を批判する強力なデモが遠い異国の地で起きたりします。そういう風に振る舞っておかないと、国に戻ったときにやりにくくなるのだろうと、私は勝手に想像しています。
国会では、国旗損壊罪というのが審議されているようですが、国旗と言えば、私は、国が主催した研修会での光景を思い出します。全国から教員が集まった会場の壁に、国の職員が、こともあろうに、茶色のガムテープで国旗を貼っていたのです。
国旗に対して、私はそれほど特別の思い入れはありませんが、これにはあきれてしまいました。日本では、普通の人の国旗に対する思いはこの程度のものなのでしょう。そんな中で国旗損壊罪という法律を作ったところで、国民の国旗に対する感覚が変化するわけではありません。罰を設ければ国旗が尊重されるようになるという発想は、教育を政治思想を注入する便利な手段と考える思想と同じ程度かそれ以上に単純でお粗末です。
こうした政治的流れを見ると、日本の政府がお隣の国と似たようなことをやり出す可能性は十分あると思います。そうならないことを強く願っています。
2026年6月23日火曜日
辺野古抗議船の事故は教育基本法違反か
2026年6月7日日曜日
変化の時代
5月になって、ずっと暑い日が続いていましたが、下旬にはすでに真夏の気温になりました。先月、そのことを同僚と話していたら、季節としての春がなくなって、服屋で春物が売れなくなったらしいという話になりました。服屋さんは、季節ごとに商品を入れ替えることで売り上げを伸ばしてきただろうと思います。四季がなくなるのは、その業界の人々に取っては死活問題でしょう。
我が国の気候の大きな特徴は、四季があることでした。それは、日本の文化にも大きな影響を与えてきました。その四季の変化が消失してしまうなどということは、数十年前まではまったく予想できないことでした(これが恒久的な変化かどうかはまだ分かりません)。こうなると、服屋さんは、存続のために新たな商売のやり方を考えなければなりません。
世の中が激しい変動の中にあることは、とっくに気づかれていたと思いますが、こんなことまで変わってしまうなどと誰が予想したでしょうか。
情報教育が重視され、小・中学校の教育課程にもプログラミングを学ぶ時間が導入されました。思いついたときには、それは先進的な取り組みだと信じられていたと思いますが、AIの急激な進化によって、すでに陳腐化してしまっています。
英語教育には国がとても力を入れており、中学校では国語の時間より英語の時間の方が多い有様です(3年間で英語420時間、国語385時間)。しかし、これまたAIの発達で、英語教師は不要になるかもしれないと言われ始めています。自分の英語をブラッシュアップするために、実際にAIを利用している人を見たことがありますが、下手な先生よりはるかに的確なアドバイスをもらえるように思いました。英語に限らず、外国語の使用場面でAIに助けてもらえるのならば、外国語を学ぶ必然性は著しく低下します。
こうした、想定できない状況の変化に対応する力をつけるには、学校教育に過度に依存しない姿勢が必要だと思います。その枠内で高い点数を取ることにばかり力を注ぐと、その枠組みが変わってしまったときに、対応できなくなるからです。
教師がこのことを受け入れるのは、自らの存在意義を否定することになってしまうので、とても困難です。この矛盾をどのように乗り越えていけばよいのか、学校教育は厳しく問われていると思います。
2026年6月3日水曜日
辺野古抗議船転覆事故
部活動遠征中のバス事故に続いて、高校生が研修旅行中に海で亡くなるという事故が起きてしまいました。亡くなった生徒を乗せていた船が、辺野古基地移設工事への反対運動に使われていたものだったために、バス事故のときとは違って、批判には政治色の濃い意見も散見されます。
様々な論点から意見が交わされていますが、私は、事故の原因は単純で、小さな船に多くの生徒を乗せてしまったという点にあると思っています。
このとき転覆した二つのボートは、法定定員が10人の船に9人、13人の船に12人が乗っていたそうです。小型船舶の定員というのは、船のサイズ等の数値を基にして計算で最大値が算出されます。それ以下であれば何人と登録しても構いません。決めるのはオーナーです。多くの場合、その最大値近くが定員として登録されています。
しかし、その計算は、静かな水面で、乗員の重量が適正に配分されており、かつ動かないことを前提としたものです。現実には、定員いっぱいの人数を乗せてしまうと、操船性能(舵の効き具合・スピード)や安定性(復元力)が著しく低下します。船が傾いたときには、すべって低い方に人が動いてしまいがちですが、そうなるとますます転覆しやすくなります(転覆を避けるためには、高い方に移動しなければなりません)。波が船内に打ち込むと、これも大きな復元力の低下につながります。
報道された写真で見る限り、これらのボートは、底が平らで、岸近くの波の穏やかな水面で釣りをするような用途向けの設計だと思われます。形状から、高い波には対応できないと言えるでしょう。個人的な経験から、安全に運行するには、小さい方で4人、大きい方でもせいぜい6人くらいまでしか乗せられないと判断します。
客を乗せる登録をしていなかったというのも問題ですが、定員のことと同様に、それは単に書類上のことです。そもそもこの船に多くの生徒を乗せようとしたこと自体に無理があったと思います。学校側の問題点は別として、乗せる側の構えがずさんだったと言わざるを得ません。
海水浴場でも実感できますが、波は、浅いところに来ると突然高くなります。事故の場所はかなり浅く、他の海面とは違う波が立っていたのだろうと推測できます。横から少し高い波を受けたら、これらの船ではひとたまりもなかったと思います。
学校教育活動と政治については、他の問題がいろいろあると思いますが、それについては別に論じたいと思っています。書く気はありますが、いろいろなことが複雑に絡まり合っていて、上手に腑分けできずにいます。
このところ、学校図書館と関係ないことばかり書いていますが、現在、私の図書館との関わりがほぼなくなっていることの反映です。