西海市立S中図書館

2026年8月8日土曜日

100均の700円商品

ホチキスの針のようなものを使って、布地などを留めるのにのに使う、タッカーという工具があります。以前から百円ショップにもありました(200~300円だったでしょうか)。一応使える商品でしたが、値段相応の品質でした。もっとも、安っぽい作りの割には、結構長く使えました。椅子の張り替えには必須です。

久しぶりに百均の工具コーナーを見たら、700円(税抜き)のタッカーがありました。以前からすると、ずいぶん価格が上がっていますが、道具の作りはしっかりしていて、700円の価値はあると思いました。

ホチキスで有名なメーカーの、ちゃんとした商品は、10倍以上の価格です。

2026年7月18日土曜日

大型絵本架の設計変更(の可能性)について

先日紹介した大型絵本架に実際に本を入れてみて(残念ながら、写真を撮っていませんでした。)一つ気づいたことがありました。『100かいだてのいえ』が右開きだったので、右に本の背がくる形に作ったのですが、勤務校にあった他の大型本は、左開きだったのです。

背がどちらであろうと、本を反対向きに入れればそれだけのこととも言えますが、それはなんとなく気持ちが悪い。

そこで思いついたのが、手前の部分は横の板だけにして、左端の、奥行き方向の板をなくすという設計です。そうすれば、右開きの本も左開きの本も、気兼ねなく表紙を表に向けて置くことができます。

強度的な問題は生じますが、18mmの厚さであれば、何とかなるでしょう。あるいは、少しだけ下の方に補強を入れることも可能です。

接着剤を使って作っているので、作り直すことはできませんが、次に作るときは、この点も意識して設計したいと思います。

2026年7月16日木曜日

大型絵本架(大型の『100かいだての家』が入ります)

久しぶりの、このブログ本来のネタです。

勤務校の図書室に、読み聞かせ用の大型の絵本が入って、それが入る書架がないので、司書が段ボールで収納場所を作っていました。それを何とかしようと思っていたのですが、やっと実現しました。



壁際に横向きで置く仕様で、手前には普通の大型絵本、後ろ側には、100かいだてシリーズの大型絵本が入ります。表紙はなるべく見せて、かつ倒れないようにするために、このような変則的な設計になりました。

18mmの厚さのパイン集成材を使っていますが、コストダウンのために、背面の板はベニヤです。高さは70cmで、上端の横向きの板は、『100かいだてのいえ』表紙の100の数字が隠れない位置になっています。

細かいことを言えば、手前側の板と中仕切りの板の木目は、横向きの方が落ち着きますが、なるべく材料の無駄をなくすために、そこは妥協しました。

2026年7月12日日曜日

生徒のインターネット・AI利用上の制約

ちょうどISとの衝突が世界中で頻繁に起こっている頃のことでした。平和学習の資料を作っていたら、生徒のパソコンに、ISが行った虐殺のリアルな動画が出てきてしまったことがありました。生徒の反応が明らかにおかしかったのですぐに気づきましたが、気づかなければ多くの生徒がその動画を見てしまっていたかもしれません。当時も、フィルターは掛かっていたはずですが、それをすり抜けてしまっていたのでした。

こうした経験が積み重なって、現在、生徒が学校で使えるインターネットのフィルターは、かなり強力なものになっています。その結果、検索しても、ブロックされて表示できない画面が多くなり、使い勝手としては、ひどくぱっとしないものになってしまいました。

先日、私の勤務校の中3の生徒が、意見文を書くとき、インターネット上での検索や、生成AIの利用を題材に取り上げました。学校で、ネット上の検索にかけられているフィルターを外し、今は使えない生成AIを生徒にも使わせるようにすべきという意見でした。

何か調べようとすると、一般的な答えはすぐに出てきますが、そこからもう一歩深めていこうとするには、制約が多すぎるのです。極めてまともな意見だと思うのですが、だからといって、今後、何でも自由に使っていいですよということにはならないだろうと思います。生成AIを使えば、悪意のある動画でも、簡単に作れてしまうからです。

報道によれば、今後新設される情報・技術科のなかで、生徒に生成AIを利用させるとのことですが、こうした現実的な課題をどうクリアするのか、ちゃんと考えているようには見えません。ただ世の中の流れに乗り遅れないようにしなければならないので謳ってみた、程度のことでしょう。

私は、昨日書いたように、学校でそれをやるのはあきらめた方がいいという考えです。既存のパラダイムを打ち砕いて乗り超えるような発想は、日本の学校教育の制約の中からは生まれてこないだろうと思うからです。 

そんなできもしないことを目指すより、リアルな世界の中で、たっぷり時間を掛けて、手足を動かしながら子どもの創造性を育むことに注力したほうが、はるかに大きな成果が得られるだろうと思います。

2026年7月11日土曜日

情報・技術科の授業時数

現行の学習指導要領で、中学校の技術・家庭科には3年間で175時間が割り当てられています。その中で、情報に振り当てられるのは、おおむね20時間くらい。さらに、そこから15時間くらいがプログラミングに割かれることになっています。

次の学習指導要領では、情報・技術科を新設し、現在の技術・家庭科程度の時数をそこに当てることになるようです。その分他の教科が削られることになります。

それを前倒しで実施するという報道もありました。10年に1回改定される学習指導要領では、世の中の変化に追いつけないというので、それはもっともらしい意見にも聞こえます。

生成AIを活用するような内容も盛り込まれるそうですが、プログラミング同様、数年後には陳腐化してしまう内容ではないかと思います。プログラミングは、この数年の間に、AIが人間よりずっと上手になったので、人間の仕事としてはほとんど不要になったようです。生成AIは、数年経ったら、現在とはまったく違うものになっているかもしれません。

新しいことが出てきたら、追加してそれを教えようという発想では、もはやどうにもならなくなったのだと思います。追加されるべき事項はどんどん増えるばかり。さらに、実際に教育課程に追加されるまでにはどうしても一定の時間が必要で、その間にも世の中は大きく変わってしまうからです。

むしろ、学校で教えることは最小化するべきです。知識ではなく、次に何か出てきたときに柔軟に対応できる資質こそ、学校で育てるべきものではないでしょうか。

こういう教育施策は、新しいことを目指しているように見えて、実は、本質を顧みない、投げやりなものだという印象を受けます。学校教育の中では、AIにはできないことを中心に取り上げていくべきでしょう。

だとしたら、学校では、例えば技術科なら、情報の時間を増やすのではなく、物作りの時間を大幅に増やすべきだと思います(現行、週1時間、全部で20時間くらいで、物作りについて何か学べると思えるのが不思議です)。教育課程全体の授業時数は変えないそうですが、大幅に減らす方向での改訂が望まれます。

2026年7月10日金曜日

生成AIが作る画像のテイスト

昨日の研修会の中で、生成AIに作らせた画像や動画が使われていました。私がその場で作ったスライドにも、たくさん画像が使われていました。

生成AIが登場して間もない頃、やはり研修会で、与えられたテーマでAIが描いた絵がいくつか示されましたが、クリスチャン・ラッセンを思わせる安っぽいリアリズムと、けばけばしい色彩で、好きになれませんでした。

その頃よりも多少絵が洗練されてきたかとも思いますが、基本的なテイストは同じで、どうにも使う気になりません。これらはすべて無料版の結果で、有料版ならもっと違ってくるのかもしれません。動画には、ホラー映画にでも出てきそうな、おどろおどろしい雰囲気の画像もあって、これではまったく使えないと思いました。

AIを使い慣れている人や、ゲームの世界になじんでいる人にとっては、これが当たり前なのかもしれませんし、つまるところ好みの問題かもしれませんが、このゴチャゴチャした絵面は、教材には向いていないというのが私の個人的な感想です。

ちなみに、AIが描いた絵を修正したくて注文を付けたら、AIは、自分の描いた絵はそういう指摘に当たらないと、たくさん理由をあげて、強固に反論してきました。自意識を持った人格のようで、面白くはありましたが、ぶつぶつ言わずに描き直してほしいとも思いました。(こういうことはしばしばあるらしく、これに反論してもAIは納得しないので、新しく描いてもらった方がいいそうです。)

2026年7月9日木曜日

オンライン研修

先週に引き続き、今週も、オンラインで研修を受けました。

AIを使って、仕事に使える資料を作るという研修でしたが、参加者は前回の倍くらいはいたようです。人気のテーマだったことが分かります。

参加者には、実際にAIを動かして資料を作ることが求められたのですが、材料の読み込みと、結果の生成には時間がかかり、研修の時間は、やっと資料ができたところで終わってしまいました。

単純な意味のAIの使い方なら、AIは、普通の文章で尋ねるだけで、すぐに答えてくれますし、答えが十分でなかったら、さらに質問を重ねていくと、答えを洗練させていくことができますから、わざわざ研修を受けるまでもありません。

研修の必要があるとすれば、どのような質問ならいい答えを導き出せるかということや、結果があまりぱっとしなかった場合の対処法です。

ところが、参加者の一部がやっと資料を作り終わった段階で、時間がなくなってしまって、できた資料の交流や評価をする時間、さらにそれをどのように改良していくかという時間は取れずに研修は終了になってしまいました。

参加者に資料を作らせて、それで終わり。これでは何も得られないのは、日々の授業でも同じだと思います。「参加型」の研修が、必ずしも効果的とは限らないということが如実に現れた研修でした。