School Library Rover
学校と学校図書館作りにまつわるいろいろ 手作りによる図書館改造を中心に
西海市立S中図書館
2026年6月23日火曜日
辺野古抗議船の事故は教育基本法違反か
2026年6月7日日曜日
変化の時代
5月になって、ずっと暑い日が続いていましたが、下旬にはすでに真夏の気温になりました。先月、そのことを同僚と話していたら、季節としての春がなくなって、服屋で春物が売れなくなったらしいという話になりました。服屋さんは、季節ごとに商品を入れ替えることで売り上げを伸ばしてきただろうと思います。四季がなくなるのは、その業界の人々に取っては死活問題でしょう。
我が国の気候の大きな特徴は、四季があることでした。それは、日本の文化にも大きな影響を与えてきました。その四季の変化が消失してしまうなどということは、数十年前まではまったく予想できないことでした(これが恒久的な変化かどうかはまだ分かりません)。こうなると、服屋さんは、存続のために新たな商売のやり方を考えなければなりません。
世の中が激しい変動の中にあることは、とっくに気づかれていたと思いますが、こんなことまで変わってしまうなどと誰が予想したでしょうか。
情報教育が重視され、小・中学校の教育課程にもプログラミングを学ぶ時間が導入されました。思いついたときには、それは先進的な取り組みだと信じられていたと思いますが、AIの急激な進化によって、すでに陳腐化してしまっています。
英語教育には国がとても力を入れており、中学校では国語の時間より英語の時間の方が多い有様です(3年間で英語420時間、国語385時間)。しかし、これまたAIの発達で、英語教師は不要になるかもしれないと言われ始めています。自分の英語をブラッシュアップするために、実際にAIを利用している人を見たことがありますが、下手な先生よりはるかに的確なアドバイスをもらえるように思いました。英語に限らず、外国語の使用場面でAIに助けてもらえるのならば、外国語を学ぶ必然性は著しく低下します。
こうした、想定できない状況の変化に対応する力をつけるには、学校教育に過度に依存しない姿勢が必要だと思います。その枠内で高い点数を取ることにばかり力を注ぐと、その枠組みが変わってしまったときに、対応できなくなるからです。
教師がこのことを受け入れるのは、自らの存在意義を否定することになってしまうので、とても困難です。この矛盾をどのように乗り越えていけばよいのか、学校教育は厳しく問われていると思います。
2026年6月3日水曜日
辺野古抗議船転覆事故
部活動遠征中のバス事故に続いて、高校生が研修旅行中に海で亡くなるという事故が起きてしまいました。亡くなった生徒を乗せていた船が、辺野古基地移設工事への反対運動に使われていたものだったために、バス事故のときとは違って、批判には政治色の濃い意見も散見されます。
様々な論点から意見が交わされていますが、私は、事故の原因は単純で、小さな船に多くの生徒を乗せてしまったという点にあると思っています。
このとき転覆した二つのボートは、法定定員が10人の船に9人、13人の船に12人が乗っていたそうです。小型船舶の定員というのは、船のサイズ等の数値を基にして計算で最大値が算出されます。それ以下であれば何人と登録しても構いません。決めるのはオーナーです。多くの場合、その最大値近くが定員として登録されています。
しかし、その計算は、静かな水面で、乗員の重量が適正に配分されており、かつ動かないことを前提としたものです。現実には、定員いっぱいの人数を乗せてしまうと、操船性能(舵の効き具合・スピード)や安定性(復元力)が著しく低下します。船が傾いたときには、すべって低い方に人が動いてしまいがちですが、そうなるとますます転覆しやすくなります(転覆を避けるためには、高い方に移動しなければなりません)。波が船内に打ち込むと、これも大きな復元力の低下につながります。
報道された写真で見る限り、これらのボートは、底が平らで、岸近くの波の穏やかな水面で釣りをするような用途向けの設計だと思われます。形状から、高い波には対応できないと言えるでしょう。個人的な経験から、安全に運行するには、小さい方で4人、大きい方でもせいぜい6人くらいまでしか乗せられないと判断します。
客を乗せる登録をしていなかったというのも問題ですが、定員のことと同様に、それは単に書類上のことです。そもそもこの船に多くの生徒を乗せようとしたこと自体に無理があったと思います。学校側の問題点は別として、乗せる側の構えがずさんだったと言わざるを得ません。
海水浴場でも実感できますが、波は、浅いところに来ると突然高くなります。事故の場所はかなり浅く、他の海面とは違う波が立っていたのだろうと推測できます。横から少し高い波を受けたら、これらの船ではひとたまりもなかったと思います。
学校教育活動と政治については、他の問題がいろいろあると思いますが、それについては別に論じたいと思っています。書く気はありますが、いろいろなことが複雑に絡まり合っていて、上手に腑分けできずにいます。
このところ、学校図書館と関係ないことばかり書いていますが、現在、私の図書館との関わりがほぼなくなっていることの反映です。
2026年5月16日土曜日
漢字の筆順の意味
2026年5月12日火曜日
部活動遠征中の事故について
最近のTVニュースで長時間取り上げられたのは、京都の義子殺害事件が圧倒的でした。今月に入ってからは、高校の部活の遠征中の事故について。いずれも、関係者や識者や、野次馬にしか思えない人の発言も含めて、繰り返し、微に入り細にわたった報道がなされていました。こういう報道のあり方には辟易させられますが、テレビ局のあり方は相変わらずです。
交通事故の方は、学校側と、バスを手配した会社側の見解が相違するということで、学校が費用を安くあげようとして、生徒の命をないがしろにしたかのような報道もありました。
学校と業者の間で実際にどんなやり取りがあったかは知るべくもありませんが、顧問が、業者になるべく安くお願いしたいと言っていたとしても、そこは責められないと思っています。遠征の費用を負担するのは保護者なので、それがいくらになろうと知ったことではないとは、多くの教員は考えないだろうと思います。安くしてくれと頼むとしたら、差額を懐に入れて金儲けをしようというのではなくて(そういう輩がまったくいない訳ではないでしょうが)、できるだけ保護者の負担を減らしたいというだけのことでしょう。安全性について意識が浅かったと言われれば、反論のしようもありませんが。
業者との口約束でバスを借り上げ、見積もりも取っていなかったという点も、日頃の仕事の進め方としてはありがちなことでしょう。学校が必要とする、一つ一つはそんなに利益の上がらない仕事に関して、いつも程よい価格で引き受けてくれる、バスが(あるいは予算が)足りないときにはレンタカーを手配してでも何とかしてくれたりもする業者の存在は有り難くて、口頭でまたお願いしますと言ってその業者を使い続けるのは、大いにあり得ることだと思います。契約の仕方としてはまずくて、さらに白バス利用という法的にアウトなやり方になりかねない点は否定できませんが。
全国の部活動の指導者にとって、今回の事故は頭の痛い出来事だったことでしょう。今まで見ないふりをしてきたことが、白日の下に晒されてしまったのですから。
このようなことがまかり通ってきた背景には、日本の学校教育が抱える、スポーツ至上主義とでもいうべき、大きな歪みがあると思います。そして、世の中全体が、そういう運動部の存在を望み、維持してきたのだと思います。そのために、教員は、ちゃんとした時間外手当や休日出勤の手当もなしに部活動(特に運動部)の指導を続けてきました。
運動部を指導することは、学校の中では学習指導よりもはるかに重要視されてきました。部活動でそこそこの成績を残せば、学校の名前は上がるし、進学にも有利に働きます。就職の際も、運動部出身者は重宝されてきました。教師の中にも、学習指導はそっちのけで部活動の指導にいそしむ輩が多くいました(現在はだいぶ減ってきたと思います)。
私は、中学校の教員ですが、高校でしばらく働いたことがあります。県内有数の進学校でしたが、特別推薦枠で、全国大会レベルの運動選手が入ってきたことがありました。勉強は元々苦手な生徒でした。おまけに、そういう選手は、遠征や対外試合が多く、まともに授業に出られません。試験では点数が取れず、いつも追試。それでも点数は十分ではなくて、レポートなどでかろうじて単位を出してもらっていました。学習面では通用しないことが分かりきっている生徒を、推薦という制度を利用して、公立の学校がなぜ連れてくるのか、私には理解できませんでした。
強いスポーツチームを作りたいというなら、それは、学校の外でやるべきことだと思います。学校とは切り離された場所で、地域クラブとして活動すべきでしょう。学校教育活動は、勤務時間の中で実施できるものに限らないと、教員の長時間労働の問題は解決しません。また、学校の本来の役目である学習指導を中心に据えないと、これからの学力向上など望むべくもありません。
2026年5月4日月曜日
デジタル後進国 続き
健康保険証がマイナンバーカードと一体化されてから1年が経ちました。紙のものはもう使えなくなるはずでしたが、経過措置が延長されました。病院では、月に1度の健康保険証の確認が機械でなされるようになりましたが、それ以外に何が変わったのか、よく分かりません。
新患の場合、病院でも薬局でも、相変わらず問診票を書かされます。そして、それは手入力でパソコンのデータとなるのだろうと思います。住所などの情報や、現在どんな薬を飲んでいるか、既往症など、マイナ保険証のデータ利用に同意しているのだから、そこから引っ張ってきてくれればいいのに、と思います。それができない事情がきっとどこかにあるのでしょうが(読み取りの機械と病院の管理ソフトが連携できないとか)、患者の側からすると、マイナ保険証になったことのメリットは、ほとんど感じられません。
マイナ免許証のときも同様でしたが、使う側にメリットがなければ、当然、必要だと考える人は増えません。これも、何のためにデジタル化を進めているのか、よく分からない例の一つです。
一つだけ、確定申告の医療費控除は、マイナンバーカードになって、ぐっと楽になりました。マイナポータルの操作は分かりにくく、手順も面倒ですが、領収書を保存・整理する手間はいらないし、自分で計算する手間を考えたら、はるかに便利になりました。
2026年5月3日日曜日
改憲論の不思議
改憲論の出発点の一つが、現行の日本国憲法はアメリカから押しつけられたものだから変えるべきだという考えです。今の総理大臣もそのように考えていたようです(過去には確かにそのように言っていましたが、現在は、時代に合わせて変えるべきだと、”ソフト”な言い方に変わっています)。
アメリカから押しつけられた憲法は嫌だと言う人たちの多くは親米的で、今日までずっと続いている、アメリカからの政策要求に忠実に答えてきた政治のあり方はあまり問題にしないのです。最近の例で言えば、日本政府は、80兆円を超える巨額の投資(投資先を選ぶ権利は日本にはなくて、利益が上がっても日本の取り分はたった1割!)を求められて、それに答えています。きっかけになった理不尽な輸入品への課税が、アメリカの最高裁で違憲と判断されたのにもかかわらず、投資の方はリセットされないようです。まさにアメリカの言いなりです。
こういう政治のあり方を目の当たりにして受容しておきながら、なぜ出発点の憲法だけがおかしいと考えられるのか、私は不思議でなりません。