西海市立S中図書館

2026年5月12日火曜日

部活動遠征中の事故について

最近のTVニュースで長時間取り上げられたのは、京都の義子殺害事件が圧倒的でした。今月に入ってからは、高校の部活の遠征中の事故について。いずれも、関係者や識者や、野次馬にしか思えない人の発言も含めて、繰り返し、微に入り細にわたった報道がなされていました。こういう報道のあり方には辟易させられますが、テレビ局のあり方は相変わらずです。

交通事故の方は、学校側と、バスを手配した会社側の見解が相違するということで、学校が費用を安くあげようとして、生徒の命をないがしろにしたかのような報道もありました。

学校と業者の間で実際にどんなやり取りがあったかは知るべくもありませんが、顧問が、業者になるべく安くお願いしたいと言っていたとしても、そこは責められないと思っています。遠征の費用を負担するのは保護者なので、それがいくらになろうと知ったことではないとは、多くの教員は考えないだろうと思います。安くしてくれと頼むとしたら、差額を懐に入れて金儲けをしようというのではなくて(そういう輩がまったくいない訳ではないでしょうが)、できるだけ保護者の負担を減らしたいというだけのことでしょう。安全性について意識が浅かったと言われれば、反論のしようもありませんが。

業者との口約束でバスを借り上げ、見積もりも取っていなかったという点も、日頃の仕事の進め方としてはありがちなことでしょう。学校が必要とする、一つ一つはそんなに利益の上がらない仕事に関して、いつも程よい価格で引き受けてくれる、バスが(あるいは予算が)足りないときにはレンタカーを手配してでも何とかしてくれたりもする業者の存在は有り難くて、口頭でまたお願いしますと言ってその業者を使い続けるのは、大いにあり得ることだと思います。契約の仕方としてはまずくて、さらに白バス利用という法的にアウトなやり方になりかねない点は否定できませんが。

全国の部活動の指導者にとって、今回の事故は頭の痛い出来事だったことでしょう。今まで見ないふりをしてきたことが、白日の下に晒されてしまったのですから。

このようなことがまかり通ってきた背景には、日本の学校教育が抱える、スポーツ至上主義とでもいうべき、大きな歪みがあると思います。そして、世の中全体が、そういう運動部の存在を望み、維持してきたのだと思います。そのために、教員は、ちゃんとした時間外手当や休日出勤の手当もなしに部活動(特に運動部)の指導を続けてきました。

運動部を指導することは、学校の中では学習指導よりもはるかに重要視されてきました。部活動でそこそこの成績を残せば、学校の名前は上がるし、進学にも有利に働きます。就職の際も、運動部出身者は重宝されてきました。教師の中にも、学習指導はそっちのけで部活動の指導にいそしむ輩が多くいました(現在はだいぶ減ってきたと思います)。

私は、中学校の教員ですが、高校でしばらく働いたことがあります。県内有数の進学校でしたが、特別推薦枠で、全国大会レベルの運動選手が入ってきたことがありました。勉強は元々苦手な生徒でした。おまけに、そういう選手は、遠征や対外試合が多く、まともに授業に出られません。試験では点数が取れず、いつも追試。それでも点数は十分ではなくて、レポートなどでかろうじて単位を出してもらっていました。学習面では通用しないことが分かりきっている生徒を、推薦という制度を利用して、公立の学校がなぜ連れてくるのか、私には理解できませんでした。

強いスポーツチームを作りたいというなら、それは、学校の外でやるべきことだと思います。学校とは切り離された場所で、地域クラブとして活動すべきでしょう。学校教育活動は、勤務時間の中で実施できるものに限らないと、教員の長時間労働の問題は解決しません。また、学校の本来の役目である学習指導を中心に据えないと、これからの学力向上など望むべくもありません。

2026年5月4日月曜日

デジタル後進国 続き

健康保険証がマイナンバーカードと一体化されてから1年が経ちました。紙のものはもう使えなくなるはずでしたが、経過措置が延長されました。病院では、月に1度の健康保険証の確認が機械でなされるようになりましたが、それ以外に何が変わったのか、よく分かりません。

新患の場合、病院でも薬局でも、相変わらず問診票を書かされます。そして、それは手入力でパソコンのデータとなるのだろうと思います。住所などの情報や、現在どんな薬を飲んでいるか、既往症など、マイナ保険証のデータ利用に同意しているのだから、そこから引っ張ってきてくれればいいのに、と思います。それができない事情がきっとどこかにあるのでしょうが(読み取りの機械と病院の管理ソフトが連携できないとか)、患者の側からすると、マイナ保険証になったことのメリットは、ほとんど感じられません。

マイナ免許証のときも同様でしたが、使う側にメリットがなければ、当然、必要だと考える人は増えません。これも、何のためにデジタル化を進めているのか、よく分からない例の一つです。

一つだけ、確定申告の医療費控除は、マイナンバーカードになって、ぐっと楽になりました。マイナポータルの操作は分かりにくく、手順も面倒ですが、領収書を保存・整理する手間はいらないし、自分で計算する手間を考えたら、はるかに便利になりました。

2026年5月3日日曜日

改憲論の不思議

改憲論の出発点の一つが、現行の日本国憲法はアメリカから押しつけられたものだから変えるべきだという考えです。今の総理大臣もそのように考えていたようです(過去には確かにそのように言っていましたが、現在は、時代に合わせて変えるべきだと、”ソフト”な言い方に変わっています)。

アメリカから押しつけられた憲法は嫌だと言う人たちの多くは親米的で、今日までずっと続いている、アメリカからの政策要求に忠実に答えてきた政治のあり方はあまり問題にしないのです。最近の例で言えば、日本政府は、80兆円を超える巨額の投資(投資先を選ぶ権利は日本にはなくて、利益が上がっても日本の取り分はたった1割!)を求められて、それに答えています。きっかけになった理不尽な輸入品への課税が、アメリカの最高裁で違憲と判断されたのにもかかわらず、投資の方はリセットされないようです。まさにアメリカの言いなりです。

こういう政治のあり方を目の当たりにして受容しておきながら、なぜ出発点の憲法だけがおかしいと考えられるのか、私は不思議でなりません。

2026年4月29日水曜日

デジタル後進国

職場の出勤時間がコンピュータ管理になってもうかなり経ちますが、今年度から、やっと印鑑を押す出勤簿がなくなりました。ただし、私は非常勤なので(?)その恩恵は受けられず、授業1時間ごとに手書きで記載した上に、働いた時間数の分だけ印鑑を押すという、今までのやり方を続けています。

以前にも書きましたが、デジタル化して仕事を減らそうという発想がないのです。この印鑑の出勤簿は、記入する私が面倒なだけではありません。校長の決裁を経て事務方が確認し、月末にはコピーを県教委に送付して、県が改めて確認することになります。この積み重ねは、膨大な労働力の損失につながります。

コンピュータを導入するの際の看板には、省力化などといった目的が掲げてあるのですが、実際には仕事はあまり効率化されないままということがしばしばあります。出退勤時間をPCで処理しながら、印鑑の出勤簿も同時に使うというのは、その典型的な例です。

消費税減税の議論が国民会議(国会議員がやるのに、なぜ国民会議と名付けたのか謎です。おそらく、純粋に政治的パフォーマンスとしてやっているからでしょう。)でなされていますが、未だに、消費税を減らすにはレジなどの改修に時間がかかるなどという反対意見が述べられているようです。

報道によれば、消費税を0%にするには、機器の改修に1年くらい必要で、消費税1%でも半年かかるそうです(消費税0%という入力はエラー扱いになる機械があるので、時間が余計にかかるのだそうです)。

消費税が導入されてから、税率を変えるのはすでに4回目です。今後も段階的に増えていくことが当然予想されます。税率が何パーセントになろうと、設定の数値を変えればたちまち対応できるというシステムになっていないのは、大きな謎です。レジは対応できても、会社全体の会計を扱うシステムが、それと連動してちゃんと動くかどうか、確認に時間がかかるというような事情もあるのだそうです。

私たちは、何のためにデジタル化を推し進めてきたのでしょうか。確か、国家的な事業だったような・・・まともに考えれば、消費税率がいくらになろうと、背後の会計システムを含めて、数日間くらいの時間があれば対応可能というシステムを、とっくに導入しておくべきだったはずです。

デジタル後進国の面目躍如、といったところです。今からでもいいので、0%の税率も含めて、数字を打ち込めば即座に対応できるシステムを構築すべきです。今後のことを考えると、2年間限定の導入に準備だけで1年数ヶ月掛かる減税よりも、そっちの方がよほど重要に思えます。

うがった見方をすれば、そうならない理由は、そんなことをしてしまうと、改修する業者の仕事が減ってしまうから、でしょう。一度そんなシステムを入れてしまえば、メンテナンスは必要だとしても、次の消費税率変更のとき、時間を掛けて改修するという仕事は不要になります。デジタル化に関わる業者自身が、本格的なデジタル化の推進に抵抗しているのでしょうか?南無三!

2026年4月11日土曜日

田中達也展 みたてのくみたて ~長崎県美術館~

もうすぐ会期が終わるので、あわてて覗いてきました。無限に湧いてくるのではないかと思わせる作者のイマジネーションは、junaidaさんに通じるものを感じました。

オリジナルには、実際に食べられる野菜なども素材に使われていて、撮影後おいしく食べたといった作者のコメントがあちこちにありました。毎日こうした作品を作って、オンラインで公開しているそうです。展示してあったのは、それをプラスチックで作り直したレプリカです。オリジナルとは細部が違っていたりします。でも、元々出来合いのものを組み合わせて作られた作品なので、オリジナルとレプリカの違いということは、ほとんど問題にならないように思いました。

一つだけ注文を付ければ、こういうポップな作品は、美術館というもったいぶった箱の中ではなくて、雑ぱくな街中の一角に置くのが似つかわしいだろうということです。また、写真撮影が許されていたため、せっせと写真を撮る人が多くて、人の流れが滞るということもありました。

「芸術(アート)」という言葉の意味も、大きく変わってしまいました。私は、中・高では美術部に属していたので、他の人に比べると多く美術館を覗いてきた方だと思います。

高校生のときは、普段はほとんど美術室に顔を出さない顧問が、近隣の大都市まで展覧会に連れて行ってくれたりしていました。地元でめぼしい展覧会があると、それを観てレポートを書くというのが課題になりました。

その頃美術館に飾られていたものは、造る側にとっても観る側にとっても特別の何かで、何かしら深い感慨を呼び起こすものだけでした。昭和の時代までのそうした作品には、重厚な美術館の展示室がよく似合います。それを打ち壊そうとした作品もまた、美術館向けに作られたものでした。

それに対して、田中氏の作品は、「感動」とは無縁で、いいねボタンをポチッとしたくなるような感興を引き起こすだけのものでした。それがつまらなくてだめだと言いたいのではありません。「芸術(アート)」と呼ばれる世界が、すっかり様変わりしたのだと思い知らされたのでした。

21世紀の教育

前回の書き込みからだいぶ時間が経ってしまいました。その間に、新たな戦争が始まり、せっかく減税で安くなったガソリン価格は、減税分を吹き飛ばしてしまうような急騰を見せました。経済のグローバル化は、ジャイアンのような大統領が気まぐれで始めた戦争の影響が、短時間で一気に世界中に及ぶ結果を招いています。そして、その尻拭いは、影響を受けた国で勝手にやるべきだというのが、トランプ氏の言い分のようです。

こうした横暴に対しても、日本政府は明確に批判の言葉を口にしません。もちろん、ジャイアンの機嫌を損ねると、倍返しで反動が来るかもしれないので、うっかりそんなことは言えないという事情は分かります。一見、無事に通過したと思えた先月末の日米首脳会談でしたが、その後の報道によると、トランプ氏は、日本は何もしてくれないと、複数回にわたって明確に不満を表明しています。無事だったというのは、事態の表面だけを見て得た判断だったわけです。

第二次世界大戦の敗戦国であった日本は、アメリカの属国のように振る舞うことで生き延びてきたわけですが、これからもその道を続けるのでしょうか。勝ち目のないけんかをふっかけよというのではありません。これまでの関係は維持しながら、一方で他の多くの国々との関係を深めていく、それ以外に、この国が生き延びる道はないように思います。

国家間の問題には国際法に基づいて紳士的に対応すべきだという了解事項があったはずだと思っていましたが、21世紀になってそんなものは雲散霧消してしまいました。ここに、大きな時代の変化を感じます。すでに、半世紀前から、変化への対応というのが教育の重要課題の一つでしたが、ここへ来て、その重要性の度合いがいっそう増しています。

世界は変わってしまいました。答えが定まらないどころか、そもそもちゃんとした問いを立てることすら難しい時代になりました。それに対応できない国家は、じわじわと滅んでいくしかありません。パソコンを子どもに持たせるとかいう手段の問題ではなくて、ルールも答えもどこにあるのか分からない世界の中で、どのように答えを導く道筋を見いだしていくか。大概のことにはAIが的確な答えを教えてくれるようになった今こそ、教育の質の根源的な変革が求められていると思います。

2026年2月13日金曜日

日本の伝統と中国

私は、長いこと国語教師をやっていますが、日本語の伝統の中には、中国の影響が深くしみこんでいます。今さら言及するまでもありませんが、私たちの使っている文字の起源は中国です。そして、漢字で書かれた大量の文章が、五千年も前から記録され続けています。日本ではまだ縄文時代だった頃からのことです。

そうした積み重ねの上に儒教がうまれ、これもまた日本にとても強い影響を与えました。孔子と同時代の諸子百家の思想も、現代まで読み継がれています。仏教も、日本には中国経由で伝わったため、日本で読まれるお経は、漢訳(つまり、中国語訳)のものです。

令和という言葉の元になった文章は万葉集にありますが、その文章は漢文(つまり、中国語)で書かれており、中国の古典の文章の焼き直しだったことは、以前ここに書きました。

古代日本の国作りのやり方が中国に倣っていたたことも、誰でも知っている史実です。日本という国についての古い記録は、中国の書物の中にあります。

日本の伝統は、遡れば中国の古代文明につながります。中国文明がなかったら、日本という国は今のような形ではなかったと言ってもいいくらいだと思います。その、日本文化の祖である中国に対しては、畏敬の念を持って接するべきではないでしょうか。

現代中国の政治のありようがあまり尊敬すべきものとは思えなかったとしても、たかだか百年にも満たない時間の中でのことです。中国五千年の歴史の中では一瞬のできごとに過ぎません。中国についてあれこれ取り沙汰するときには、このことをちょっとだけ思い出してほしいと思っています。