ちょうどISとの衝突が世界中で頻繁に起こっている頃のことでした。平和学習の資料を作っていたら、生徒のパソコンに、ISが行った虐殺のリアルな動画が出てきてしまったことがありました。生徒の反応が明らかにおかしかったのですぐに気づきましたが、気づかなければ多くの生徒がその動画を見てしまっていたかもしれません。当時も、フィルターは掛かっていたはずですが、それをすり抜けてしまっていたのでした。
こうした経験が積み重なって、現在、生徒が学校で使えるインターネットのフィルターは、かなり強力なものになっています。その結果、検索しても、ブロックされて表示できない画面が多くなり、使い勝手としては、ひどくぱっとしないものになってしまいました。
先日、私の勤務校の中3の生徒が、意見文を書くとき、インターネット上での検索や、生成AIの利用を題材に取り上げました。学校で、ネット上の検索にかけられているフィルターを外し、今は使えない生成AIを生徒にも使わせるようにすべきという意見でした。
何か調べようとすると、一般的な答えはすぐに出てきますが、そこからもう一歩深めていこうとするには、制約が多すぎるのです。極めてまともな意見だと思うのですが、だからといって、今後、何でも自由に使っていいですよということにはならないだろうと思います。生成AIを使えば、悪意のある動画でも、簡単に作れてしまうからです。
報道によれば、今後新設される情報・技術科のなかで、生徒に生成AIを利用させるとのことですが、こうした現実的な課題をどうクリアするのか、ちゃんと考えているようには見えません。ただ世の中の流れに乗り遅れないようにしなければならないので謳ってみた、程度のことでしょう。
私は、昨日書いたように、学校でそれをやるのはあきらめた方がいいという考えです。既存のパラダイムを打ち砕いて乗り超えるような発想は、日本の学校教育の制約の中からは生まれてこないだろうと思うからです。
そんなできもしないことを目指すより、リアルな世界の中で、たっぷり時間を掛けて、手足を動かしながら子どもの創造性を育むことに注力したほうが、はるかに大きな成果が得られるだろうと思います。