西海市立S中図書館

2026年7月11日土曜日

情報・技術科の授業時数

現行の学習指導要領で、中学校の技術・家庭科には3年間で175時間が割り当てられています。その中で、情報に振り当てられるのは、おおむね20時間くらい。さらに、そこから15時間くらいがプログラミングに割かれることになっています。

次の学習指導要領では、情報・技術科を新設し、現在の技術・家庭科程度の時数をそこに当てることになるようです。その分他の教科が削られることになります。

それを前倒しで実施するという報道もありました。10年に1回改定される学習指導要領では、世の中の変化に追いつけないというので、それはもっともらしい意見にも聞こえます。

生成AIを活用するような内容も盛り込まれるそうですが、プログラミング同様、数年後には陳腐化してしまう内容ではないかと思います。プログラミングは、この数年の間に、AIが人間よりずっと上手になったので、人間の仕事としてはほとんど不要になったようです。生成AIは、数年経ったら、現在とはまったく違うものになっているかもしれません。

新しいことが出てきたら、追加してそれを教えようという発想では、もはやどうにもならなくなったのだと思います。追加されるべき事項はどんどん増えるばかり。さらに、実際に教育課程に追加されるまでにはどうしても一定の時間が必要で、その間にも世の中は大きく変わってしまうからです。

むしろ、学校で教えることは最小化するべきです。知識ではなく、次に何か出てきたときに柔軟に対応できる資質こそ、学校で育てるべきものではないでしょうか。

こういう教育施策は、新しいことを目指しているように見えて、実は、本質を顧みない、投げやりなものだという印象を受けます。学校教育の中では、AIにはできないことを中心に取り上げていくべきでしょう。

だとしたら、学校では、例えば技術科なら、情報の時間を増やすのではなく、物作りの時間を大幅に増やすべきだと思います(現行、週1時間、全体で20時間くらいで、物作りについて何か学べると思えるのが不思議です)。教育課程全体の授業時数は変えないそうですが、大幅に減らす方向での改訂が望まれます。

2026年7月10日金曜日

生成AIが作る画像のテイスト

昨日の研修会の中で、生成AIに作らせた画像や動画が使われていました。私がその場で作ったスライドにも、たくさん画像が使われていました。

生成AIが登場して間もない頃、やはり研修会で、与えられたテーマでAIが描いた絵がいくつか示されましたが、クリスチャン・ラッセンを思わせる安っぽいリアリズムと、けばけばしい色彩で、好きになれませんでした。

その頃よりも多少絵が洗練されてきたかとも思いますが、基本的なテイストは同じで、どうにも使う気になりません。これらはすべて無料版の結果で、有料版ならもっと違ってくるのかもしれません。動画には、ホラー映画にでも出てきそうな、おどろおどろしい雰囲気の画像もあって、これではまったく使えないと思いました。

AIを使い慣れている人や、ゲームの世界になじんでいる人にとっては、これが当たり前なのかもしれませんし、つまるところ好みの問題かもしれませんが、このゴチャゴチャした絵面は、教材には向いていないというのが私の個人的な感想です。

ちなみに、AIが描いた絵を修正したくて注文を付けたら、AIは、自分の描いた絵はそういう指摘に当たらないと、たくさん理由をあげて、強固に反論してきました。自意識を持った人格のようで、面白くはありましたが、ぶつぶつ言わずに描き直してほしいとも思いました。(こういうことはしばしばあるらしく、これに反論してもAIは納得しないので、新しく描いてもらった方がいいそうです。)

2026年7月9日木曜日

オンライン研修

先週に引き続き、今週も、オンラインで研修を受けました。

AIを使って、仕事に使える資料を作るという研修でしたが、参加者は前回の倍くらいはいたようです。人気のテーマだったことが分かります。

参加者には、実際にAIを動かして資料を作ることが求められたのですが、材料の読み込みと、結果の生成には時間がかかり、研修の時間は、やっと資料ができたところで終わってしまいました。

単純な意味のAIの使い方なら、AIは、普通の文章で尋ねるだけで、すぐに答えてくれますし、答えが十分でなかったら、さらに質問を重ねていくと、答えを洗練させていくことができますから、わざわざ研修を受けるまでもありません。

研修の必要があるとすれば、どのような質問ならいい答えを導き出せるかということや、結果があまりぱっとしなかった場合の対処法です。

ところが、参加者の一部がやっと資料を作り終わった段階で、時間がなくなってしまって、できた資料の交流や評価をする時間、さらにそれをどのように改良していくかという時間は取れずに研修は終了になってしまいました。

参加者に資料を作らせて、それで終わり。これでは何も得られないのは、日々の授業でも同じだと思います。「参加型」の研修が、必ずしも効果的とは限らないということが如実に現れた研修でした。

2026年7月8日水曜日

皇室典範の改正議論

高市さんは、女性初の総理大臣ということで、支持率も非常に高い状態が続いています。彼女を見ていると、私が教師になった40年くらい前のことを思い出します。ちょうど、元号が昭和から平成に変わる頃でした。

その頃はまだ、男性優位の世の中で、女性管理職は極めてまれでした。女性が管理職になるには、男性社会の価値観に過剰に一体化し、仕事では男性以上に頑張り、飲み会の席でのセクハラは笑顔で受け流し(もちろん、内心は違っていたでしょうが)、場面によっては「男のように」振る舞うことが必須でした。

高市さんが睡眠時間を削って仕事に邁進していると自分でアピールする姿からは、当時の女性管理職が思い出されて、痛々しくなります。化石のような体質の議員だらけの中で、そうやって地歩を築き、トップに上りつめたのでしょう。

かつて、私は、しばらく教育委員会に所属しており、人権・同和教育や、「男女平等教育(当時は、まだそのような言い方がなされていました)」を担当していました。ちょうど、男女混合名簿(男子・女子をわけず、名前の順番だけで作る名簿)の導入が激しく議論されていました。校長会は、あからさまに反対はしませんでしたが、いろいろ屁理屈をこねて混合名簿では困ると言いつのっていました。

あれから30年ほど経って、さすがにどの学校も男女混合名簿を当たり前のように使っています。特に不都合は生じていません。その後出てきた「男女共同参画社会」という言葉もすっかり定着して、現実の処遇はまだまだだとしても、考え方としては、生物学的な性差以外には、男女の間に差はないというのが常識になってきたと思っていました。

女性管理職も増えましたが、女性が、管理職だからといって、かつてのように肩に力を入れて突っ張らなくてもいい時代になってきたと思います。

ところが、昨今の皇室典範の改正議論の中で、我が国の一部には、男性優位の世界観がまだ根強く残っていることがあからさまになってしまいました。女性が天皇になったからといって、天皇家の血統が途絶えるわけではないのに、養子を入れてでも男系男子による相続が必要だと考えるのは、あからさまに性差別的だと思います。高市さんにも、どうやらそうした考え方が深く染みこんでいるようです。

人々の考え方が変わるのには、長い時間が必要です。しかし、時代は急激に変化しました。伝統を守るという口実のもとに、天皇の跡継ぎ問題で、性別による異なった扱いが許されてよいはずもありません。大手新聞社(三社)の調査によれば、女性天皇に反対する人は、全体の1割以下です。

史上初めての女性総理大臣が、こんな女性差別とも捉えられかねない法律を作ってしまったら、それこそ不名誉なことで歴史に名を刻んでしまいます。どうか、思い直して、女性天皇誕生を可能とする改正の方向に舵を切ってほしいと願っています。

2026年7月7日火曜日

アクセス数増加

このブログの閲覧数が、もうすぐ50万になりそうです。最近は、羊頭を掲げて狗肉を売るの類のブログになってしまっています。でも、皮肉なことに、学校図書館のことばかり書いていた頃より、1記事あたりのアクセス数が、はるかに多くなっているのです。それで、トータルの閲覧数も増えました。多くの人に読んでもらえるのはとてもありがたいのですが、少し微妙なところではあります。

2026年7月1日水曜日

デジタル後進国 さらに続き

教員の研修のためのPlantというプラットフォームがあります。研修申し込みや、履歴の保存などができて、便利だろうと思って先日使ってみました。

私は、現在非常勤講師なので、常勤の人の勤務時間の最後に設けられた研修の時間は職場にいません。もちろん、オンラインの研修です。

プラットフォーム上には自分が受ける研修会の説明があります。マニュアルを読んで、その概要欄から当該の研修に飛べると私は理解していました。ところが研修会直前になっても、概要欄は空白のままで、どうやって参加したらよいのかまったく分からず、仕方がないので職場に電話して尋ねました。

すると、研修会の案内の文書にオンライン会議のURLが記載されているとのことでした。私は、てっきりPlant上から行けると思い込んでいたので、その文書は持ち帰っていませんでした。結局、電話でそれを読みあげてもらって、無事研修会に参加することができました。

市教委の研修会だったので、Plantにそれを登録した担当者が忘れていただけなのかもしれませんが、オンラインのプラットフォームを使っておきながら、紙の文書がないと参加できないという馬鹿げた事態に遭遇してしまったのでした。これもまた、デジタル後進国ならではの現象だと思いました。

2026年6月29日月曜日

辺野古抗議船転覆事故 続き

少し前に、この事故の一番の原因は、小さな船に定員一杯の人数を乗せたことだと私は考えると書きました。他のいろいろなことは措いて、海に出て行く構えが甘かったとしか言いようがないのです。

もう一つ気になったのが、事故直後の対応です。海上保安庁への通報が複数あったようですが、それは、みんなこの船に乗っていた高校生からのものだったというのです。高校生が、あらかじめ保安庁の118番という電話番号を知っていたわけではないでしょうから、スマホで検索するなどして調べたのでしょう。

2艘のボートのうち、1艘が転覆した後、もう1艘がそれに気づいて、引き返して救助に向かったという経緯にも問題を感じます。

救助する力もないのにそれをしようとしたという地元の漁師のコメントがニュースで流れていましたが、普通の人が、転覆事故が起こるような海況の中で救助に当たるのは、極めて困難です。まして全長6mくらいの小さな船外機船に9人も乗っていては、ベテランの船乗りでも救助活動などできません。とりあえず現場に引き返したくなる気持ちは理解できますが、二次遭難の恐れがあるので、やってはいけません(結果的に、二次遭難してしまい、死者まで出してしまいました)。転覆に気づいた後、船長がすみやかになすべきだったのは、海上保安庁への通報です。それが海の上での常識です。

報道によれば、これらのボートが出ていくとき、保安庁のボートから制止されていて、それを振り切って出かけた後の事故でした。だから、保安庁の船は、それほど遠くないところにいたはずです。事故後すぐに通報していれば、経過は変わっていたかもしれないと思います(少なくとも、二次遭難は起きなかった)。

うがった見方をすれば、(その日だけでなく、たぶん日頃から)保安庁の言うことに従っていないので、通報したくなかったのだろうと思ってしまいます。

海上保安庁は、遭難した人が誰であれ、全力で救難に当たります。事故が起きたら、一刻も早く通報すべきなのです。このボートの船長には、海に出ていく者としての心構えが足りなかったと思います。

この事故を政治的に捉える人が多いようですが、政治的立場を云々する以前の問題だと私は思っています。