物語を読むとき、生徒は、どうしてもフィクションを現実ととらえてしまいがちです。
先日、授業で「高瀬舟」読んだとき、作者の森鴎外、いつの時代の人かと聞いたら、江戸時代と答えた生徒がいました。内容が江戸時代の話だからそう思ったらしいです。
もっとも、国語の教員にもフィクションの意味が分かっていない奴もいて、現実と小説の内容を混同した読解を堂々とやっていたりします。
作者と、登場人物の「私」が限りなく近い場合はありますが、だからといって、それが事実を描いたノンフィクションになるわけではありません。これって、テキストを読むときの第一歩と思ってたのですが。
国語の時間にフィクション読むことの意味って、何なのでしょうか。事実ではないことを、あたかも事実であるかのように思わせる書き方を、方法的にとらえること?
文学作品を読むのは、感動させるため、と割り切った考え方をする人もいます。そのとき、それが現実かどうかは、二義的な問題なのかもしれません。
ただ、気になるのは、例えば、テレビで流れている映像が、すべてリアルなものであると勘違いする人は多いように思えることです。
ニュースでさえ、画像の作り方で、一方的な印象を与えることは容易にできます。まして、それ以外のバラエティ番組などは、おもしろおかしく編集してあるわけですから、それを現実と思い込んでしまえば、おかしなことになってしまいます。
そして、次はブログの炎上。
人間というのは、いつもリアルなものを見ていないと落ち着いていられない生き物なのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿