西海市立S中図書館

2024年10月10日木曜日

道徳の教材の嘘くささ

中学生にもなると、多くの生徒は、大人の建前の議論を見抜いていますし、それを分かった上で、教師の前ではいい子のふりをしたりします。

道徳の教科書を読むと、嘘っぽい話にあふれていて、しかし、生徒は容易にそこで求められている「正解」に気づきます。本来は、道徳の授業に、単純な正解などあり得ないはずですが、教材からは、見え見えの「正解」が読み取れることが多いです。そして、生徒はそれを答え、教師は満足する(あるいは、満足したふりをする)。学校ではよくある、お約束の場面です。

プロのもの書きや、高名な人物の文章からの抜粋ならまだいいのですが、学習指導要領に細かく定められている内容項目の要求を満たすために、編集部が独自に書いた文章が頻繁に出てきて、道徳教科書の嘘くささを強化しています。

先日表紙を紹介した日本文教出版の道徳の教科書には、「昔と今を結ぶ糸」という文章があります。ある中学生が修学旅行の行き先について調べているときに、ネットで奈良の新薬師寺にある十二神将像を見つけ、ひどく感銘を受けるという話です。

まず、まだ行ってもいない、ネットでしか見たことのない仏像に中学生が深く感動するという設定に大いに無理があります。さらに、一番感動したのがそこに古い時代の彩色が残っていることだったというのが、何より嘘くさい部分です。

ネットの画像でも分かりますが、実物を見ると、色はほとんど剥げ落ちていて、モノトーンの印象が強い作品です。古い時代の仏像は、様式性が強く、動きもないものが多いですが、十二神将像に関しては、動的でダイナミックな表現がなされており、まずそこに目が行きます。

この文章を書いた人は、おそらく実物を見たことがなかったのでしょう。あるいは、実物を見に行ったが、解説文ばかり読んで、実物には目が行かなかったのかもしれません。この部分は、嘘っぽいどころではなくて、知識だけででっち上げた嘘の話だと私は感じました。

こんな与太話を読ませて、「我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度」を育てよというのです。ほとんど絶句するしかありません。

私には、これは伝統文化をないがしろにする態度にしか見えません。道徳教育の重要性を強調する政治家が、特定の宗教団体と深く結びついていたり、裏金まみれだったりすることと、それは無関係ではない気がします。

2024年10月9日水曜日

道徳の教科書

道徳が、他の教科と同等の扱いになったのは、2015年度からでした。このときは、学習指導要領の一部改訂でしたが、その後全面実施となり、道徳の教科書が作られることとなりました。いったいどんなものができるのだろうと思っていたら、多くは、それまでに使われていた道徳の資料集を焼き直したものでした。

教科になる前から、学習指導要領によって道徳の授業の内容は細かく定められており、それに沿った資料を探すのに手間がかかるため、いくつかの出版社が、学習指導要領の規定に沿った資料集を出していました。とりあえずそれに沿って道徳の授業を進めれば、求められている内容項目の全てをクリアできた訳です。多くの学校がそれを使っていました。

教科になったために、道徳は評価をしなければならなくなったのですが、その点を除けば、道徳の授業でやることは、2015年の前と後に、大きな違いはありません。なぜ教科にしなければならなかったのか、ちょっとネットで検索すると、いじめの増加を始め、いろいろな御託が並べてありますが、授業実施の実態があまり変わっていないのですから、そうした御託にほとんど意味はありません。

道徳の教科化を主張した人たちは、(好意的に解釈すれば)実のある改革をしたかったのだろうと思いますが、実際は、何も変わっていません。いじめの件数も増えるばかり。いじめの件数のグラフを見ると、皮肉なことに2016年度に急増し、その傾向がずっと後まで続いています。

実はこれも、安倍政権の残した、見てくれだけの無益な改革の一つなのでした。教師の仕事を増やしただけの。

2024年10月8日火曜日

カラーユニバーサルデザイン

現在、市で使っている道徳の教科書の表紙です。



私はこの表紙の色づかいには大きな違和感を感じるのですが、そうなった理由が裏表紙に書いてありました。この教科書はカラーユニバーサルデザインに配慮しているのだそうです。

これは、解決の難しい問題だと思います。しかし、UDへの配慮が、多数派にとっては違和感を覚えるものでしかないというのはどうなんでしょうか。どこに妥協点を見つけたらいいのか。

先日、ラベルの色分けについて、電子部品のカラーコードを紹介したとき、色覚の多様性に配慮した10種の色分けは無理だろうと書きましたが、「カラーユニバーサルデザイン推奨配色セット」というのがあって、完全ではないものの、普通の十二色環に使われている色よりは、色覚の少数派にとって、見やすくなるようです。

https://cudo.jp/?page_id=1565

カラーコードの色を、この配色セットに基づいたものにすれば、よりよい色分けができるのではないでしょうか。

2024年10月7日月曜日

「読み語り」への違和感

「読み聞かせ」のことを「読み語り」という人が出てきたのはいつの頃だったでしょうか。誰が言い始めたのか寡聞にして知りませんが、先日、私の勤務校(小中併設)の小学校の教頭から、「読み聞かせ」と言った私の言葉を「読み語り」と訂正されてしまいました。

こういう言い方が始まったのは、「聞かせる」という言葉の、使役のニュアンスを嫌ってのことだというのは理解できます。でも、だからといって「語り」にするのは如何なものでしょうか。

「読み聞かせ」を「読み語り」と言い換えたところで、大人がしつらえた場面に子どもを連れてきて、本を読むのを「聞かせる」という事実が変わるわけではありません。

それに、読むことと語ることは別の営為でしょう。それをくっつけるというのが、私にはどうにもなじめません。

読み聞かせのときには、語らずに、フラットに読んでほしいと思います。なるべくそこに余計なものを付け加えないでほしい。語りたい人は、紙芝居をやればいい。(プロが語るのはまた別の話です。)


この問題も、一度は書いておきたかったことですが、語源や起源のことなど調べねば、などと思いつつほったらかしてきました。NDC批判同様、無責任なまま書いておきます。

2024年10月6日日曜日

図書館と図書室

1953年(!)に作られた学校図書館法という立派な法律がありますが、義務教育の世界では、あの部屋のことを「図書室」と呼ぶのが一般的でした。それに対して、私は、どんなに貧弱であろうと、ここに「図書館」を作るんだと意気込んでいて、「図書館」と呼び続けていました。看板を作るときも、最初は「図書室」で始めましたが、その後は「図書館」で一貫してきました。

しかし、最近また「図書室」と呼ぶようになりました。一種のあきらめです。

私の勤務する市では、司書教諭の配置は形骸化し、学校司書も2~3校に一人の配置が改善される気配がまったく見えません。図書の購入予算は減少傾向。学校の中では、図書館担当は相変わらず日陰者です。

GIGAスクール構想とやらに乗っかって、児童生徒一人に一台のタブレット端末が与えられるようになってから、図書室に行く機会すらなくなりつつあります。

いつかは、ここが「図書館」と呼ぶにふさわしい内実をそなえるようになるだろうという私の儚い願いは、私の生きている間には実現しそうもありません。で、「図書館」という言葉にこだわるのはやめて、「図書室」で同僚たちとの会話を進めるようになりました。

2024年10月4日金曜日

「情報」の授業

2022年度から、高校で「情報」が必修となりました。そして、来る2025年度の入試からは、大学入試共通テストの科目に「情報」が加わることになりました。

高校の教科の内容がいろいろ変わってきたことはこれまでにもありましたが、まったく新しい教科が増えるというのは、とても大きな変化だと思います。

そのスタートが高校からというのはよく分かりませんが(中学校では、技術科の中で情報の占める割合が大きくなっています)、とにかく、世の中でそれだけ重要な課題と考えられていることは間違いありません。(個人的には、英語よりもこっちを小学校から始めろよと思っています。)

入試問題のサンプルを見てみましたが、私のような文科系の人間からするとちんぷんかんぷんで、高校生も大変だなと思いました。

ともあれ、日本図書館協会がこうした時代の趨勢にまったく乗り遅れていることは間違いありません。

2024年10月3日木曜日

細谷巧『13歳から鍛える 具体と抽象』東洋経済新報社、2023

13歳の生徒がよく分かると言ってくれるかどうかは分かりませんが、大人にとってはとても分かりやすく書かれた本で、論理的な思考の基礎・基本を一人で学ぶにはうってつけだと思います。


内容については、アマゾンの商品紹介(出版社による)にかなり詳しく書いてあります。

これを読めば、私がNDCに感じている問題点の一つを分かってもらえるかもしれないと思ったので、紹介してみました。