教員の不祥事のニュースも、残念ながら目新しいものではなくなってしまいましたが、この数日盛んに報道されている、児童の盗撮とその共有というのは、そんな中でも際だってひどいものだったと思います。
教員の中にそういう指向の人物が混ざってしまうこと自体は、防ぎようがありません。今回も、中心の人物は、子どもや保護者からの信頼が篤く、主幹教諭という教頭に次ぐ立場の教師だったと報道されています。それを他人が見抜くことは極めて難しいことです。
人間というのは、誰だって内面に様々な側面を抱えているもので、負の部分を持つ人物は教師にふさわしくないと排除していったら、教師のなり手は誰もいなくなってしまうでしょう。そのような狭隘な人間観は、教育の現場にふさわしくありません。それは、子どもが持つネガティブな感情や行動を全否定してしまうことにつながるからです。
では、どうすればいいのか。こうした事象が起こってしまう背景には、学校という場所の閉鎖性があると思います。相変わらず教室は担任の独断場で、他の教師はなかなか入って来ません。管理職ですら、校内を巡回していても、教室の中にまで顔を出すことはまれです。
学校を開かれたものにすべきだというのは、ずいぶん前から唱えられてきたことですが、一向にそうなりません。たぶん、教師はその方がずっと楽だからです。教師が一人しかいない教室では、どのようなやり方を取ろうが、誰にも文句を言われません。子どもたちは、何でも好きなようにさせておけば、とりあえず文句は言いません。
保護者も、授業参観日以外のときに教室に入っていくのは、歓迎されません。
絶えず複数の人間が出入りする環境であれば、こうした事象はずいぶん起こりにくくなるはずです。管理職に対して、盗撮などがなされていないか校内を点検するようにという指示があったようですが、まず目を向けるべきは人だと思います。悪さをしているかもしれないと疑って見よということではありません。目標管理シートのような紙切れではなく、その人がどういう人物で、どういう指導をしているのか、教師にもっと近い距離で接し、判断していくべきでしょう。
管理職はもとより、他の教師も、相互の教室の出入りが気兼ねなくいつでもできるようになるべきです。たまに研究授業をして教室を公開するのではなく(もっとも、それすらほとんど行われていないのが、多くの学校の実状です。)、常日頃から他の教室を覗いて参考にし、あるいは自分の授業を見てもらって助言をもらう。そうした同僚性が教師を育てます。こうした環境を作るのは、不祥事を防ぐためというより、まず第一に学校教育の質を高めるためです。でも、そういう環境の下では、児童生徒の盗撮といった事態は極めて起こりにくくなるでしょう。
今週に入って、さっそく県教委からの緊急メッセージが届き、性的な問題についての自己診断テストが配布されました。こういうものは、お役所のアリバイ作りに過ぎません。教師の心の健康を真剣に何とかしようと思うなら、おざなりな自己診断ではなくて、各学校に教師向けのカウンセラーを置くとか、いつでも第三者に心置きなく相談できるようなシステムを構築するしかありません。以前、県内の学校で、相談窓口に話をしたら、その内容が上司に筒抜けであったというケースがありましたが、そうならないような第三者機関が必要です。
人手不足も、教室が閉ざされる要因の一つだと思います。教師の質を高めるためには、待遇改善も必要でしょう。ですが、この二つは当面実現しそうにありません。限られた資源の中でなんとか事態を改善するには、原点に帰って、個々の学校が、教室を開いていく努力をしていくしかないと思います。