西海市立S中図書館

2014年7月16日水曜日

田原総一朗、上祐史浩『危険な宗教の見分け方』ポプラ新書、2013

田原・上祐両氏の対談です。オウム真理教の広報部長だった上祐さんが、今何を考えているのかよく分かりました。


そもそも、上祐さんは、思想的に突き詰めてオウムに関わったわけではないということのようです。宗教を信じるときって、そういうことなんでしょうね。

上祐さんは、教祖が持つ霊媒としての資質と、神秘体験にやられちゃった、ということらしい。個人的な体験の価値は、本人にとっては極めて相対化しにくいものなのです。


学生の頃、同級生に、かなりうさんくさいキリスト教系の新興宗教の熱心な信者がいました。同じ大学の中には、かなりの信者の広がりがありました。

彼らが共同生活をしているアパートを訪れたことがありますが、メンバーは皆優秀で、この上なく純粋な人物ばかりでした。上祐さんの話を読んで、彼らのことを思い出しました。同級生の彼は、入信のきっかけには世の中への不信があったと話してました。

子どもがしばしばそうであるように、純粋さは、極端な邪悪さと同居することができます。優秀な人材が、純粋な心で信じるものを持つと、向かうところ敵なしです。


この中で、日本全体の文化や思想的課題と、オウム教団が持つ課題とがアナロジーとして述べられています。オウム真理教の事件は、他人事ではないということです。むしろ、私たちの社会が持つ致命的な課題を露わにしたと考えることができます。

記憶は薄れていきますが、このままではいつまでも事件の終わりはやってきません。忘れることはできても、ものごとがきちんと終わりを迎えることは、それとは別の問題なのです。

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