神戸の連続児童殺傷事件の際に少年が書いた手紙のことをよく覚えています。以下、引用です。
「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボク」という言葉に打たれました。耳を疑うような残忍な事件を起こした少年の言葉に「打たれた」というのは変でしょうか。少年が義務教育のことに言及したのもまた衝撃でした。
ちょうどその頃、お役所づとめをしていた私は、仕事にほとほとうんざりしていたのですが、そういう自分の中に、この言葉が染みるように入ってきたのです。
その年の12月には、佐藤学氏の『カリキュラムの批評…公共性の再構築へ』(世織書房)が出版されました。固い内容の分厚い論文集で、なかなか歯ごたえがあったのですが、それを毎晩数十ページずつ読みながら、ときどき少年の言葉を思い出して、その時期を乗り切った記憶があります。
かつて、「芥川龍之介のような自殺した作家の本を子どもに読ませるべきではない」と言った高名な作家がいました。
私たちは、ものごとの価値を、その本質から離れた周辺的なもので決めてしまいがちです。言葉の価値は、それ自体で計られるべきだと思います。
本の価値もまた同様ですし、読まずに価値の判断をすることはできません。どんな本であれ、閲覧制限をかけるのは、最小限にとどめるべきだと思う所以です。
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