現在、中学校では、通知表や指導要録に、各教科ごとの5段階の評定と、三つの観点別に3段階の評価がなされています。文部科学省によれば、三つの観点のうちの一つ、「主体的に学習に取り組む態度(旧学習指導要領では、関心・意欲・態度と呼ばれていたもの)」の評価を、次の学習指導要領からは、評価の点数から外すことになるそうです。
簡単に言うと、それは数値的な評価になじまないから、ということのようです。それはその通りだと思いますが、それなら、残りの二つの観点はどうでしょうか。「知識・技能」と、「思考・判断・表現」ですが、特に、後者については、評価するのはそんなに容易なことではありません。その生徒の、思考力の客観的な到達度を、どうやって点数化すればよいのでしょうか。
例えば、テストで、論理的な思考力を測ろうとしたとします。生徒は、限られた時間内で、出題者の意図を正確に汲み取り、出題者が求めている答を書かなければなりません。論理的な思考力を試そうとしながら、得点には別の要素が大きくからんでくるのです。まして、一度授業で示された問いであれば、記憶力が大きな助けになってしまい、その生徒の思考力を正確に評価することなどできません。また、じっくり考えて答を出すタイプの生徒や、文章を早く読むのが苦手な生徒も、テストでは大いに不利になります。
テストで比較的測りやすいのは、「知識・技能」だけということになりそうですが、実はこの点にも議論があります。知識というのが、水を注いで桶に水を貯めるように、少しずつ子どもの脳に蓄積されていくものであれば、ある程度測定も可能かもしれませんが、実は、ことはそんなに単純ではないようです。
記憶というのは、状況に支配されている側面があって、テストという特殊な場面で子どもがその知識を取り出せなかったことが、必ずしもその子どもにその知識が欠けていることの証明にはならないらしいのです。
そもそも、子どもの学力を1点刻みで測定して序列を付けるということ自体が、理論的な根拠に基づいてなされているわけではありません。特に、入試などのように、順位が重要になってくる場合、テストの点数で序列をつけることが公平で適切なやり方だとずっと信じられてきたというだけのことです。
今のような入試を行うためには、全国で統一したカリキュラムも絶対に必要です。その上、どの学校も、入試があるからと、カリキュラムの内容を網羅的に取り上げ、ひたすら子どもに覚え込ませるような授業に傾きがちです。こうして、学校教育が、限りなくつまらないものになっていきます。
いずれにしても、そもそも目に見えない能力や学力を正確に測るのは困難で、テストの点数という間接的な指標を使ってもっともらしい数字をはじき出しているというのが実情です。テスト以外の手段で評価することもありますが、提出物以外で、授業中にそうした評価がちゃんと行えるのは、せいぜいクラスの規模が十数名まででしょう。学校教育の質を根本から変えていくためにも、ここらで、思い切って、評価のあり方を全面的に見直すべきだと思います。
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