西海市立S中図書館

2018年6月26日火曜日

U中

今年は図書主任ではないので、図書館部会には出ていなかったのですが、結局、環境整備班の夏の研修会の手伝いをすることになりました。

今日は、年休をもらって、その会場となるU中に行ってきました。


校舎はとても古くて、廊下側には木の窓枠が残っていたりするのですが、図書室は改装されていて、とてもきれいでした。家具も比較的まともなものが並んでいました。

書架の中もよく整理されていて、ゆったりと使われていました。

写真の棚の最上段には、古いものだけ並べているそうです。そうした使い分けもよく考えられていると思いました。

それでもやるべきことがないわけではありません。すぐに廃棄していいような本もまだたくさん残っていましたし、2教室分ある部屋の配置も、今の司書のHさんが改めたらしくて、大まかなところではよかったのですが、細部にはまだ手を入れる余地が残っていると思いました。

図書主任を外れたせいもあってか、私自身は、よその学校より自分のところでやりたいと思っていましたが、Hさんがとても意欲的なので、行ってよかったと思いました。

Hさんは、しーんとなってしまった部会の話し合いの中で、ぜひうちで、と手を上げたそうです。

2018年6月25日月曜日

O中

もう先々週になってしまいましたが、研究会のあった高校に行ったついでに、隣の中学校に立ち寄りました。


この学校で働いたことはなかったのですが、この市で働いていたので、何度か訪れたことがありました。

ずいぶん久しぶりの訪問だったのですが、こういうにぎやかな感じの部屋は最近あまり見ていなかったことに気づきました。

こうした、あちこちに遊びのある部屋は、いるだけで文句なしに楽しいです。

2018年6月16日土曜日

高校学びの共同体全国大会in長崎

昨日に引き続き、学びの共同体の大会でした。この研究会の全国大会が長崎で開催される日がくるなんて、思いもしていませんでした。しかも高校です。

発表の中で、昨日訪れた高校が、どのような経緯でこの実践に取り組み始めたのか、詳しく説明されました。私は、これまで、長崎県の高校教育に悪い印象しか持っていませんでしたが、そのいきさつを聞いて、今までの考えを改めるべきだという思いに至りました。

周辺にある底辺の学校から始まった取り組みですが、これが、じわじわと中心の方へ広がっていくことを期待したいと思います。

今日も佐藤学氏の講演があって、今日は、もっぱら学びの共同体を支える理論についての話でした。

その中で、班学習の由来について触れられていましたが、戦後日本の学校における班活動の起源が、旧ソ連にあること、そしてそれが、もともと、生産性を高めるための活動であったという話がありました。6人班の根拠はそこにあったようです。

班活動は、組合所属の教員が強く押し進めてきていて、組合の存在感が消え去った今日になっても、いまだにその名残が学校現場には色濃く残っています。

しかし、これが、スターリン時代の独裁政治に起源があるということで、私自身としては目から鱗が落ちたという感じでした。

少し前に、日本のリベラルの問題点を書きましたが、これも、それに似た問題点だと思います。民主的な学校を造るという目標の下に隠れていたのは、全体主義的な産業主義だったというわけです。

そのように解釈すると、私がずっとそうした班活動に感じてきた違和感の正体が、すっきり理解できるように思われます。

今日の話全体の中では、一つのエピソードにすぎない話題でしたが、そうした枝葉にも人をうならせるすばらしい知見が散りばめられている佐藤氏のお話でした。

2018年6月15日金曜日

学びの共同体授業研究会

隣市にある高校で授業研究会をやるというので参加してきました。これが8回目というのですが、今まで気づいていませんでした。たぶん、昨年までは、案内の文書が学校内に回らなかったので気づかなかったのだろうと思います。

国語と数学の授業を参観しましたが、どちらも、少ない課題に時間をかけてじっくり取り組むという授業でした。

どの教科にも共通するのですが、難しい課題にじっくり時間をかけるというような授業の進め方は、中学校でもほとんど見られません。逆に、駆け足で知識を追うか、計算技能を高めるような授業ばかり。

人口の少ない田舎にある普通科の高校ですが、いわゆる進学校ではない、小規模の学校だからこそできるのかもしれませんが、学校をあげての取り組みで、ずいぶん学校はよくなったということでした。

淡々と課題に取り組む生徒達と、それをじっと見守る教師の姿に、その効果はしっかりと見て取れましたし、授業研究と、最後の佐藤学氏の講演のどちらも、相変わらず質の高いものでした。

2018年6月4日月曜日

いとうせいこう『国境なき医師団を見に行く』講談社、2017

著者がヤフーニュースに書いたレポートをまとめた本です。


著者の文体はちょっと癖があって、わざと破綻させたようなその文章が少し鼻につくなと思いながら読み始めたのですが、読み進めるに従って、慣れたせいなのか、それはあまり気にならなくなりました。

国境なき医師団で働く人たちがどのような人で、現実にはどのようなことがそこでなされているのか、よく分かるレポートでした。

そこに描かれた現実は、私たちの安定した日常とはかけ離れていて、それが強烈すぎるため、筆者の文体も気にならなくなったのかもしれません。

そうした過酷な現実に立ち向かおうとする人たちが少なからず存在するということに、驚きと畏敬の念を抱かざるを得ないと思いました。

2018年6月1日金曜日

奇妙な提案

今の学校は、16クラスなので、司書教諭が発令されています。ただし、その人は図書係にはなっていなくて、単に辞令が出ているというだけのものです。

その人から「朝読書」についての提案がありました。市中総体が近づいてきたためだと思いますが、それぞれの部活動の顧問教師からの励ましのメッセージを、朝読書の時間に放送で読もうというものです。

なぜか彼はそれを「読書」と呼んでいました。

部活の応援メッセージなら、朝読書の時間にしなくともよさそうなものですが、何より、これを「読書」と呼ぶことに、私は違和感を感じてしまいました。

どうこじつけてもこれは読書にはなり得ないでしょう。読み聞かせでももちろんない。

なぜこれを読書というのか、不思議な提案でした。

2018年5月17日木曜日

ラベルをどうするか

さて、ラベルについて、ここまでの前提を受け入れたとして、次に、どのような形があり得るのかを考えてみたいと思います。

3段のラベルを2段にするというやり方もあり得るでしょうが、3段ラベルと2段ラベルでは、五十歩百歩だと思います。

どうしてもラベルなしでは無理だとしたら、ラベルの高さは1段にするべきでしょう。また、一般的なラベルについている色の枠も、なくした方がいいと思います。色の枠の分、ラベルの高さを減らすことができるからです。

では、そこに何を書くのか。9類に限ってですが、著者記号だけはほしいという考えの人もいます。

妥協的な案としては、1段のラベルに分類番号と著者記号を入れてしまうという方法もあると思います。

私は、9類はラベルなし、それ以外はこの1段ラベルに分類番号と著者記号というやり方を使ったことが多かったです。