週1回だけの朝読書ですが、読んでいい本には細かい制約が設けてありました。図書担当の教員発で、文学(特に純文学!)とか、古典、歴史などが好ましく、図鑑、絵本、ケータイ小説などは好ましくないとあります(だいぶ省略してますが、原文にはずっと詳しく書いてあります)。
そういうものを読んでほしいと思う教師の気持ちはよく分かります。私自身も、生徒に読んで欲しい本を上げろと言われれば、いくつか書き出すことはできるでしょう。でも、そう思うことと、それを実際に指示することとの間には、大きな開きがあります。
教師や親は、もちろん子どもの成長を願っています。で、どうしたら子どもがすくすく成長するのか模索しています。だけど、子どもが成長する道を、教師や親が事前に作りあげておくことはできません。
どこかで、子どもは、教師や親の手を離れ、自分自身の力で自分の歩む道を選んでいかなければなりません。その力を付けることが成長です。そのためには、自分で選ばせることがどうしても必要です。
朝読書のときに何を読むか選ぶ、といったような場面があったら、できる限り自力で選ぶように促すべきです。もちろん、何を読んだらいいかと聞かれたときは、助言をしてあげていいでしょう。ただ、その助言が、安易に、文豪の作品とか、純文学作品を勧めるものであってはならないと思います。
文豪と呼ばれる作家の本ばかり好んで読んでいた生徒に、この十数年の間に1人だけ出会いました。ざっと、数千人に一人という割合です。現実にはほとんどいないと言っていいでしょう。その一人をないがしろにしろとは言いませんが、まったく一般的ではありません。
そもそも、文豪と呼ばれる人の作品なら読むに値するというのは、本を読んだことのない人の陥りがちな、あまりにも形式的な判断です。こういう考えがまだ生き残っていたんだと、大変驚きました。
そういうものを読んでほしいと思う教師の気持ちはよく分かります。私自身も、生徒に読んで欲しい本を上げろと言われれば、いくつか書き出すことはできるでしょう。でも、そう思うことと、それを実際に指示することとの間には、大きな開きがあります。
教師や親は、もちろん子どもの成長を願っています。で、どうしたら子どもがすくすく成長するのか模索しています。だけど、子どもが成長する道を、教師や親が事前に作りあげておくことはできません。
どこかで、子どもは、教師や親の手を離れ、自分自身の力で自分の歩む道を選んでいかなければなりません。その力を付けることが成長です。そのためには、自分で選ばせることがどうしても必要です。
朝読書のときに何を読むか選ぶ、といったような場面があったら、できる限り自力で選ぶように促すべきです。もちろん、何を読んだらいいかと聞かれたときは、助言をしてあげていいでしょう。ただ、その助言が、安易に、文豪の作品とか、純文学作品を勧めるものであってはならないと思います。
文豪と呼ばれる作家の本ばかり好んで読んでいた生徒に、この十数年の間に1人だけ出会いました。ざっと、数千人に一人という割合です。現実にはほとんどいないと言っていいでしょう。その一人をないがしろにしろとは言いませんが、まったく一般的ではありません。
そもそも、文豪と呼ばれる人の作品なら読むに値するというのは、本を読んだことのない人の陥りがちな、あまりにも形式的な判断です。こういう考えがまだ生き残っていたんだと、大変驚きました。
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