新元号の出典について、中国のネットユーザーがすばやく反応していたようです。以下「文春オンライン(2019年04月04日 11:25)」からの孫引き。
■包茅子。
<日本政府は『万葉集』が典拠だと言っているけれど、後漢の張衡「帰田賦」に「仲春令月、時和気清」という一節がある。ちなみに『万葉集』の表現は「初春令月 気淑風和」。言葉の選び方も句形も、明らかに「帰田賦」からの継承関係がある。
このことは東アジアの他国の国民にある道理を示している。つまり、自分たちの古典をやみくもに信じてはいけない、それらには著作権の意識なんてなかったのだから。漢文化はどこにでもある、同じ文化圏の側に属するのさ。>
(注.投稿時間は4月1日12:33(日本時間13:33)。投稿者自身の知識で「帰田賦」を紹介した可能性が高い) (引用ここまで)
これと前後して、「帰田賦」の文言を見つけた人は複数いたようです。中国文学史を勉強したら、入門書にも必ず出てくる書名ですから、気が遠くなるような量の文字を残している中国文学の中では、かなり有名な文章と言っていいでしょう。万葉集の碩学がそれに気づかなかった理由は分かりませんが、元号を採用するにあたっては、発表前に誰かが確認しておくべきことでした。こうして、日本政府は自らの教養のなさを世界に知らしめた、ということです。
■包茅子。
<日本政府は『万葉集』が典拠だと言っているけれど、後漢の張衡「帰田賦」に「仲春令月、時和気清」という一節がある。ちなみに『万葉集』の表現は「初春令月 気淑風和」。言葉の選び方も句形も、明らかに「帰田賦」からの継承関係がある。
このことは東アジアの他国の国民にある道理を示している。つまり、自分たちの古典をやみくもに信じてはいけない、それらには著作権の意識なんてなかったのだから。漢文化はどこにでもある、同じ文化圏の側に属するのさ。>
(注.投稿時間は4月1日12:33(日本時間13:33)。投稿者自身の知識で「帰田賦」を紹介した可能性が高い) (引用ここまで)
これと前後して、「帰田賦」の文言を見つけた人は複数いたようです。中国文学史を勉強したら、入門書にも必ず出てくる書名ですから、気が遠くなるような量の文字を残している中国文学の中では、かなり有名な文章と言っていいでしょう。万葉集の碩学がそれに気づかなかった理由は分かりませんが、元号を採用するにあたっては、発表前に誰かが確認しておくべきことでした。こうして、日本政府は自らの教養のなさを世界に知らしめた、ということです。
レオナルド・ダ・ヴィンチが「瞳は精神よりも欺かれることが少ない」と言っているというのを、高校の頃、現代国語の教科書(筑摩書房)で読みました。岡本太郎の文章だったと思います。
その頃私は、この言葉と逆に、瞳より精神の方が確かにものを見ることができると思っていたので、よく覚えています。でも、今になってその意味がよく分かる気がします。イデオロギーは事実を見誤らせることがあるという、こうした現実を目の当たりにして。
それともう一点、中国の漢字文化圏に属する我が国では、古来文字に書かれたものを尊重するという意識が強かったと思います。官僚の文書第一主義も、遠くはそれに由来するものでしょう。ところが、最近それも怪しくなってきている。文書になんて書いてあろうと、それは事実ではないと堂々と主張する政治家が出てきたからです。
総じて、表面的には伝統を大切にしているという主張をしながら、その実、本質的なところでは伝統をないがしろにしているこういう人たちは、正しい意味での保守主義者ではありません。保守を騙る某国の輩と呼ぶべきです。
それともう一点、中国の漢字文化圏に属する我が国では、古来文字に書かれたものを尊重するという意識が強かったと思います。官僚の文書第一主義も、遠くはそれに由来するものでしょう。ところが、最近それも怪しくなってきている。文書になんて書いてあろうと、それは事実ではないと堂々と主張する政治家が出てきたからです。
総じて、表面的には伝統を大切にしているという主張をしながら、その実、本質的なところでは伝統をないがしろにしているこういう人たちは、正しい意味での保守主義者ではありません。保守を騙る某国の輩と呼ぶべきです。
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