10連休後の学校が始まりました。生徒もみんな元気で、思ったよりも普通に授業ができました。
休み中に、五島の教会を二か所訪ねました。一つ目(中央の屋根が白っぽく見える建物)は久賀島の旧五輪教会。右の方に見える茶色の建物は、現在使われている五輪教会です。
この集落には、現在、家が2軒だけしかないそうですが、新しい教会に近隣の人たちが十数名集まって、月に一度ミサが開かれています。
次の教会は、奈留島の江上天主堂。写真では山の中にあるように見えますが、これも海岸にあります。古いものがあった場所から少しだけ高い位置に移動してこうなったようです。
この集落にはもう家は1軒しか残っていないそうですが、ここでもやはり月に一度ミサが開かれているようです。
江上天主堂は、明治から昭和にかけて五島の教会を多く手がけた鉄川与助氏の作品の一つですが、鉄川氏の設計は、それぞれの場所に応じて少しずつ違った意匠が用いられています。そこから、建築家として、氏が教会作りを楽しんでいた様子が伝わってきます。
ここは、裏山から雨水が流れてくる場所らしくて、そのための対策がいろいろ施されていました。また、建物の裏側の屋根にある破風の、切り欠きから通った光が、壁面に十字架の模様を映し出すといったちょっとした遊びもありました。
離島の外れにある、この上なく不便な土地に住む、決して豊かではなかった人々が、懸命に作ったであろう教会ですが、日常を離れた特別の場所として仕立てようという意識が強く感じられる場所でした。
休み中に、五島の教会を二か所訪ねました。一つ目(中央の屋根が白っぽく見える建物)は久賀島の旧五輪教会。右の方に見える茶色の建物は、現在使われている五輪教会です。
この集落には、現在、家が2軒だけしかないそうですが、新しい教会に近隣の人たちが十数名集まって、月に一度ミサが開かれています。
次の教会は、奈留島の江上天主堂。写真では山の中にあるように見えますが、これも海岸にあります。古いものがあった場所から少しだけ高い位置に移動してこうなったようです。
この集落にはもう家は1軒しか残っていないそうですが、ここでもやはり月に一度ミサが開かれているようです。
江上天主堂は、明治から昭和にかけて五島の教会を多く手がけた鉄川与助氏の作品の一つですが、鉄川氏の設計は、それぞれの場所に応じて少しずつ違った意匠が用いられています。そこから、建築家として、氏が教会作りを楽しんでいた様子が伝わってきます。
ここは、裏山から雨水が流れてくる場所らしくて、そのための対策がいろいろ施されていました。また、建物の裏側の屋根にある破風の、切り欠きから通った光が、壁面に十字架の模様を映し出すといったちょっとした遊びもありました。
離島の外れにある、この上なく不便な土地に住む、決して豊かではなかった人々が、懸命に作ったであろう教会ですが、日常を離れた特別の場所として仕立てようという意識が強く感じられる場所でした。
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