西海市立S中図書館

2024年4月22日月曜日

吉村芳生展(長崎県美術館)

週末に雨が続いていたので予定していた作業ができず、この展覧会に行ってみることにしましたが、実はあまり期待していませんでした。このようなタイプの絵に対して、俗に「写真のようだ」という形容がなされることがあります。しかし、それがこうした絵の中心的な価値であるなら、最初から絵に描くのはやめて、写真にすればいいことです。

写真にはない何かがあると思っているから、わざわざ絵を描くわけです。そうであるなら、「写真のようだ」とか「本物そっくり」という評価はその絵の価値に対して何も言っていないことになります。もっとも、絵の方が本物より本物らしいということはあり得ると思います。フィクションの小説が、現実よりも現実味を感じさせることがあるように。

私は、作者の後期のカラーの花の絵より、上の写真のような、初期の白黒の風景の方がいい絵に思えます(会場は、写真撮影可でした。念のため。)。会場にあった解説によれば、花の絵の作品に作者自身が納得し切れていなかったことが伺えます。「写真のように」描くことはできるが、その先の何かが足りないと感じている作者のいら立ちのようなものが伝わってくる気がしました。


上の写真も初期の作品で、できたての新聞を転写して、鉛筆でなぞったものだそうです。作者は、同じ手法で後からカラーの作品を作っていますが、これも白黒の方がいい。

「焼き直す」という言葉がありますが、それを地で行くこの作品には、作者の絶妙なユーモアを感じて思わず笑ってしまいました。右下の解説の下に、小さな写真が添えてありますが、こうやって描いたものを1万枚コピーして積み重ねた作品だそうです。

長田弘さんの詩に、「一体、ニュースとよばれる日々の破片が、/わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。」というフレーズがありますが、それを思い出しました。「ニュースペーパー」という存在への大いなる皮肉。

カラーの作品の方は、一枚一枚の紙面が拡大されていて、実物よりもはるかに大きい上に、作者のおどろおどろしい顔の自画像が重ねられており、全体の量も膨大で、いささか狂気の方に傾いた雰囲気を感じて、私は怖くてその展示室の奥に入って行けませんでした。私の感性の限界を超えた作品ということなのかもしれません。

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