平湯先生のもう一つの悩みは、電子本が普及すれば、平湯モデルの家具などいらなくなるのではないかという危惧です。今年は、いくつかの目立つハードが売り出され、派手に取り上げられました。
私は、電子ブックに、ページをめくるように読む、なんてノスタルジックな機能がついているうちは、まだまだだと思ってます。こんなことやっている間は、本はなくならない。著者の主張もこういう点についてはおおむね中庸です。
電子ブックのメリットの一つは、一冊(?)の本の中に、書架の中身がすっぽり入ってしまうこと。場所は取りませんよね。気の早い向きは、教科書を電子ブックにするべきと考えておられるらしい。教師は抵抗するでしょうけど、生徒は喜ぶだろうな。「置き勉」で叱られる心配なくなりますし。
活字本の出版関係者だけでなく、図書館関係者も危機感を持っておかしくないと思います。これからの図書館はどんな形になるのか。場所を取るから本の図書館なんかいらん、という焚書時代がやってくるかも。東京都の例もあって、あながち、笑い話でもないようですよ。
本書でもGoogleブックス図書館プロジェクトが紹介されています。原稿が書かれた時点(この夏)で取りあえず1500万点(!)がデジタルデータ化される予定とのこと。ひいては、1億(!!!)にも及ぶすべての印刷本を加えようという壮大な計画。グーグルによれば、すでに700万点の書籍の全文検索ができるそうな。
http://books.google.com/intl/ja/googlebooks/agreement/
その後、提携機関は着実に増えている様子。日本では慶應義塾が参加しています。
大きな数を実感するために、生徒に実際に数えさせるという実践がありますが、数万くらいは実現可能。でも1500万はもう無理ですね。1億となると、イメージすら難しい。
こんな話を聞くと、NDCがどうこういう問題は、どうしようもなく小さく思えます。現実の方が私たちのはるか先を走っていってます。いつの間にかそんな問題は無化されてしまうかも。
著者は、電子ブックでも、従来の書籍でもない未来の新しい本の形にまで思いを馳せてます。電子ブックにこと寄せていろいろ考えてしまいました。
keep9です。
返信削除iPhoneアプリに、「青空文庫」が読めるものがありますが、これなど「日本文学全集」が手のひらにおさまっているようなものです。
漱石など代表作もほぼ全て網羅されていますし、私は「こころ」の再読はPDAでやっていたくらいです。
つまるところテキストが持っている価値こそが問題であって、媒体は紙であろうが液晶であれば読めれば良い、そんな価値観で本を読む人間が増えていくことになるんでしょう。
実際にウェブ上の情報なんてのはまさにその通りになっていて、ブログをまとめた紙の本などというのは無駄に感じてしまう。
あとNDCについては、将来的にはそうなるかもしれませんね、とは言っておきますね。
パソコンOSとしてのWindowsが将来的になくなってしまうとしても、今まさにパソコンを使う人がWindowsを勉強しないで済ませられるわけがない、というのと同じです。
申し訳ないけれども、代案無しにNDCを否定するのはいかがなものかと思いますよ。