西海市立S中図書館

2011年8月9日火曜日

8月9日に寄せて

今日は登校日です。この日は、私が小さい頃から登校日でした。長崎の原爆記念日だから。毎年11時2分になると、黙祷をしてきました。誰に向けて?

私の母は、亡くなってだいぶたちますが、高校生の頃、勤労動員のために長崎駅(爆心から約2km)で働いていたとき被爆しました。たまたま室内にいたので無事でしたが、外で働いていた人の多くが相前後して亡くなったそうです。

遺体は薪を積み上げて焼いたと聞いています。幼い頃から、父からは戦争の体験、母からは被爆の体験を多く聞かされてきました。

母は原爆記念日の前には、必ず爆心地公園にある慰霊碑に出かけていました。一人一人が特定できるような死に方をしなかった人たちの慰霊碑。

子どもの頃、母に連れられてそうした場所を訪れていたとき、私にはその意味がよくわかっていませんでした。なぜ、そこに母が毎年お参りをしなければならないと決めていたのか。

米倉斉加年さんが「大人になれなかった弟たちに」と、自分の幼くして死んだ弟を通して、他のたくさんの幼い死者に思いを馳せた、そんなことの意味が、今頃になってやっとわかったように思います。

母のように、若い頃多くの死者を間近に見てしまった人たちにどのような生き方が可能であったのでしょうか。

やっと私も、自分が母の立場なら、何らかの形で鎮魂の儀式を執り行うことなしには生き続けられなかっただろうと思えるようになりました。自分がたまたま生き残ったことと、自分の周りで多くの人たちが死んでいったこととの間でなんとかバランスを取るには、そうするほかなかったのだろうと思うのです。

それに気づいてからやっと、毎年行っている儀礼的な黙祷が、中身のともなったものになりました。私の生もまた、そうした危ういバランスの上に成り立っているのに違いないからです。

果たしてそれを今ここに生きている子どもたちにも伝えていくことができるのかどうか。はなはだ心許ないのですが、やっと具体的な課題を手にした思いです。

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