司書の人たちと話していて思い出しました。1学期のことでしたが、県教委の図書館運用調査で、学校に「500選コーナー」を作ったかどうか?という項目がありました。
県の事業としてやったことだから、結果を検証しなければならないという事情は分かりますが、こんなこと聞かれてもねぇ。500選のポスターは割合よかったので貼ってますけど。
http://www.manabi.pref.nagasaki.jp/dokusyo/500sen/500sen-chirashi.pdf
「県民が子どもにすすめる本200選」に続いて「長崎県の子どもにすすめる本500選」って、続けて似たようなことやって、いくらなんでも芸がなさすぎでしょう(予算なしで何か格好のつくことしなければならないという事情があるにしても)。
もちろん、選書の参考にはなるでしょう。でも、全部の学校にそれを置きなさいなんてのはナンセンス。予算を取って、公共図書館に並べてくださいな。
まあ、「家族10分間読書」なんてのより、実害は少なそうですけどね。
子どもに「今日は家の人と本読みましたか」なんてアンケート書かせたりする学校があるんでしょうね、きっと。
社会教育畑の事業っていうのは、欧米から理念だけ輸入してコケた、もっぱらお上が下々の者に余計なお世話をやくという、極めて日本的な事象だと思うのですが、いまだにこんなことやってるんだから。
「読書を盛んにしよう」という動きは、常に諸刃の剣であるとは思いますけどね。学図研の兵庫大会で、朝読書について「読まない自由」は保証されているのか、という趣旨の発言がありましたが、どんなにいいことでも、強制してやらせるのでは効果半減でしょう。
あ、そう言いながら朝読書やってますけど。以前は、私は上の理由から、朝読書に懐疑的でした。今は推進派ですが、朝自習なんかよりは、はるかにましだと思うからです。学力向上のかけ声とともに、朝読書の時間をまた学習の時間にあてようという動きが強くなってきてしまって。
計算ドリルや漢字テストでは学力向上しませんってば。九州の某県で、大金をつぎ込んでやってぱっとしなかった、壮大な負の遺産があるんですが、そういうのって、あんまり宣伝されないんですよね。政治がからんでるし、責任追及されたら困りますからね。
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