分類のことを考えています。この本は生物の分類法を論じたものですが、教えられるところは多かったです。
最後の章には「人工物はそれ自体が人間の都合による産物なので、これを対象とする分類は、決して科学的な分類体系となることはない。従って、いずれにせよ、科学的分類体系の対象は自然物に限られる」とあります。
そう言われると、ちょっと安心。本の分類は科学にはなり得ないということですね。「体系的」と言っているが全然そうじゃなくて恣意的なものに見えているのは、むしろ人工物を分類しようとするときには原理的に避けがたい欠点なんだということなんでしょう。
そもそも「体系的」って言うから誤解が生じるんですよね。どうしても科学的分類体系のことだというイメージでとらえてしまって。そういう名付けで格好付けるの、やめましょう。
第二章の最後に、「分類することは重要な基準を選ぶこと自体なのだ。ア・プリオリに重要な基準などはない。従って分類することは世界観の表明であり、思想の構築なのである」と出てきます。
これは、科学的分類体系でない分類にもあてはまる考えじゃないでしょうか。そのような視点で本の分類が論じられたこと、あまりなかったのかなと思います。
みんなが使ってるからいいじゃないか、というのはやっぱりあまりにもナイーブな意見でして、その思想性は問われていいでしょう。市民の自由を求める図書館が、一方で過去の遺物を引きずっているのは、扱っているものの性質上やむを得ないところもあるでしょうが、だからといって、その表現している世界観までうのみにすることはないので。
ちょっとめんどくさいこと書いてしまいました。でも、これ、宿題なのね。
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