学生の頃受けた美学の授業で、プラトンの『饗宴』に出てくる古代ギリシアの恋愛論が取り上げられたことがありました。ざっくりまとめると、恋愛には三つの種類があって(男と男、女と女、男と女)、男と男の恋愛が一番レベルが高いといった内容でした。
実感として、当時はまったく理解できませんでした。今でも、かな?
展覧会などで、ギリシアの作品も観ていたと思いますが、作品の選択や解説にいささかフィルターがかかっていたかもしれません。国立西洋美術館で今行われている古代ギリシア展では、かなりそのあたりが変わってきたように思いました。
ギリシアの彫刻や絵画には、エロチックな表現がたくさんありますが、それが当時ポルノグラフィの役目を果たしていたのだという解説がありました。
神話に仮託したり、若い兵士たちの、これは現実のBL画像が壺に描かれてたりします。
プラトンの言説の背景には、たぶんこうした現実があったのですね。同性愛を禁忌としたのは、その後のキリスト教文化で、日本も、昔から同性愛には寛容な文化であったようです。
平安時代の寺院がそうですし、江戸時代の歌舞伎なんかも、同性愛と共存してました。西鶴の作品は言うまでもありません。
世の中では、性愛に関する禁忌が急激に緩くなって、こうした展覧会も質を変えたのでしょうが、結構あからさまな表現もあって、実はちょっと観るのが恥ずかしかったりして。もはや旧世代の感覚?
何でこんなことわざわざ書いてるかというと、教育現場では、未だに性愛は許しがたい罪悪のような取り扱いがなされることが多いからです。現実はどんどん変化してます。現実を見据えた議論、しましょうね。
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