訃報を聞き、今日はこれしかないと思いました。
私が大学生になった頃には、学生運動はピークを過ぎて急速に勢いをなくしていました。おまけに、私の行った大学の前身は、もっとも激しい紛争の起こったところの一つで、どうにもならなくなった事態を打開するために、都心から離れた場所に移転し、名前も変えていたので、その影響は少なかったと思います。
どうして吉本隆明さんの著作を読むようになったか、正確には覚えていませんが、たぶん学生協の書店で勁草書房の全著作集第1巻(定本詩集)を見つけて読んだのが最初だったと思います。この一冊は手垢がつくほど繰り返し読んだ覚えがあります。
それから学生時代を通して、吉本隆明さんにどっぷり浸かってました。出た本は全部読みました。学生時代の読書の指針は吉本隆明さんから得ていました。島尾敏雄さんの小説に入れ込むことになったのも、きっかけはここ。
私の父が、ちょうど吉本隆明さんと同じ年齢。誕生日も10日ほどしか違いません。父からさんざん聞かされていた戦中の様子。私の父も軍国少年だったようで、吉本隆明さんが述べる戦中・戦後の庶民の思想のあり方は、実感としてよくわかる気がしていました。
何度か都内の大学で行われた講演会に参加したことがあります。いつも会場から激しい質問が浴びせかけられ、それに淡々と答えていた姿が印象に残っています。
著作で印象に残っているのは、『固有時との対話』『転位のための十編』『マチウ書試論』『論註と喩』『最後の親鸞』といったところでしょうか。
古書店で、ガリ版刷りの『固有時との対話』を手にしたことがありますが、粗末な造りの私家版の冊子に、私が学生の頃すでに数十万円という値段がついていたのを覚えています。ほしかったですけど、とても買えませんでした。
その後、学生時代のような読み方はしなくなりましたが、世間を騒がす大きな事件が起こったときに吉本隆明さんが示す見解にはいつも注目していました。往年のような影響力はなかったかもしれませんが、世の中の表面的な動きに流されないその視点にはいつも感服していました。
子どもの育て方についての見解にも、身につまされるものがありました。ばななさんのことだったかどうか覚えていませんが、公園に遊びに連れて行って、自分はベンチで本を読んでいたが、子どもの立場からすると、いっしょに遊んでほしかったのだ、と大人になってから言われた、とどこかに書いてます。
今更ではあるのですが、娘と遊ぶときは、なるべくなんでも一緒にやるように心がけてます。
足下の現実から出発して、またそこへ帰ってくるべきだという姿勢も、いつも見習いたいと思うところでした。
追悼にかこつけて、自分のことばかり書いてしまいました。父の死がもう一度やってきたような感慨があるのですが、それは、すでに通り過ぎたことのようでもあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿