私は、NDCをあまり積極的に学校教育の中に取り入れてほしくないと思っています。特に、初等教育において、です。
子どもたちは、言葉の世界で、語彙を増やしながら意味の体系を作り上げている途上にあります。言葉の意味というのは、7月13日に紹介した今井むつみさんの本にもあるように、一個一個を積み重ねていくものというより、学びながら全体として変化していくものです。
そういう、変化の途上にある子どもたちに、NDCの分類体系は混乱を来すおそれがあります。NDCの体系は、言語の意味上のカテゴリーを無視して作り上げられているからです。
類のレベルで、さらりと通過するくらいなら別にかまわないでしょうが、あまり細かいところには踏み込んでほしくないと思っています。
高校生くらいになれば、自分の持つ語彙の体系とは別のものがあるのだという理解がすぐにできるようになるでしょうが、中学生くらいでも、例えば、一般的な意味からわざとずらしたような表現には、なかなかついていけないものです。
図書館を使うことや、図書館で資料の探し方を教えることは重要だと思っていますので、誤解のないように。
でも、NDCを取り入れましょう、なんて言うと、NDC「を」教えることが重要だ、みたいな誤解が生じがち。
学習というのがどのようにあるべきものか、ということとも関わってきますが、図書館を活用して学習を進めるという、もっとも学習らしい学習が、その部分ではまったく異質なものに転化してしまうことを危惧します。
いや、あなたのような優秀な司書や、司書教諭のことを言っているのではないですよ。学校というところは、必ずしも図書館のことをよく理解している職員ばかりで成り立っているわけではありませんからね。
これ、書いたら、また怒る人が出てくるんじゃないかって思いますが、久しぶりに正面から論じてみました。NDCがどうあるべきか、というのはまた別に書きたいと思います。
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