ウクライナ上空で民間の飛行機が撃墜されたことについて、ウクライナとそれに対抗する親ロシア派の勢力が、互いに相手のせいだと主張しているようです。
現時点で、誰がそれをやったのか、判断することは難しいですし、ひょっとしたら真相は今後も分からないままなのかもしれません。
しかし、これが、高度な攻撃力や破壊力のある武器を持ったことの結果だ、ということは明らかです。
武器を持つときには、誰もが、正義を実現するため、敵を倒すため、あるいは敵に攻撃されないためと言うのですが、いったん持ってしまえば、それがどのように使われるかについて、完全にコントロールすることなどできやしません。
今ミサイルを発射しようとしているその対象が、100%確実に攻撃をしてくる敵だとわかるまで待っていたら、攻撃のチャンスを逃してしまうでしょう。
武器を持てば、今回のようなできごとは、必ずまた起こるのです。
私たち自身は、今回の攻撃を行った者のように愚かではないのだ、とは、とても言えません。
吉本隆明氏が、戦場では敵の弾に当たって死ぬより、むしろ味方の流れ弾に当たって死ぬ者の方が多いのだという意味のことをどこかに書いていました。
味方や、民間人や、敵とは無関係の相手へのダメージをなるべく避けようと思うなら、どんな兵器であれ、あまり性能のよいもの、破壊力の大きなものは持たない、という選択肢しかありません。
私たちの武器は、言葉や書物であるべきです。
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