変わらないこと、それ自体は別に悪いことでもないし、変わらないからそのものの価値が下がっていくというものでもありません。でも、変えるべきなのに変わらないというのはどうでしょうか。
NDCは、すでに第9版が出てますが、これまで、改訂の際には、基本的に、大きくは変えないという方針でやってきたようです。
学者の中には、教育課程はころころ変わるから、学校図書館では、それに影響されない分類を採用すべきだというような議論をする人もいますが、これは転倒した考えです。
教育課程が変わるのは、世の中の変化に対応するためです。図書の分類は、世の中が変化しても、変わらない方がいいのでしょうか。本の世界は、世の中の変化に従って大きく変わります。私は、分類も、それに対応して当然変化すべきものだと思っています。ところが、現実には、NDCは、枝葉の部分以外、あまり変わらないできました。だからそれに準拠すべき?
NDCが多くの図書館で使われているから、変えにくいという事情も分かります。大きく変えて、それに従おうとしたら、膨大な作業が必要になります。
でも、そう言ってたら永遠に変えられないことになってしまいます。部外者から見れば、改訂をやってきた日本図書館協会は、極めて保守的な団体のように見えます。だって、学者の先生方も、NDCの問題点にはとっくに気づいていらっしゃるのですから。
私なんかが、こんなところで分類を論じるのは、蟷螂の斧といった類いのものであると思いますが、小さな学校図書館だからこそ柔軟な分類や配架がやりやすいでしょう。それなのに、学校図書館の方がNDC絶対主義or原理主義とでも呼ぶべき考えの人が多いような気がして、書いてます。
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