西海市立S中図書館

2016年1月26日火曜日

道徳教育を身をもって行う政府

T:君は、テストのとき、Y君に答を見せたのか?
S:はい、見せました。
T:なぜ、そんなことをしたんだ?
S:Y君は、今度のテストが悪いと、携帯電話を親から取り上げられると言ってました。それではY君がかわいそうなので、テストを見せてあげることにしました。
T:そうかい。でも、それはカンニングだろう。君は、テストのときカンニングをするのは悪いと思わないのか?
S:もちろん、悪いと思います。でも、Y君の親はとても厳しくて、Y君はいつも怒られてばかり。とてもかわいそうなのです。Y君がまた怒られると思うと、Y君の頼みを断りきれませんでした。

多少フィクションを交えていますが、このようなやりとりが生徒との間でときどきなされます。

悪いことはしました。でも、それには理由があるのです(その理由とやらは、たいがい他人のことで、自分に原因があると述べられることは、ほとんどありません)。だから、私は決して悪くありません。

悪いのは状況なんだ。君は決して悪くないよね。と、言ってあげる必要があることもあるでしょう。教育的にはそれが正しい。

Y君に聞いたら、この話とはまったく別の筋書きが出てきたりしても、です。どうやら、どちらもその場限りの言い訳を言っているのだとあからさまになっても、です。

今の政府は、道徳を教科として扱う方向に進めています。もちろん、そのことを意識しているのでしょう。政府自身が今後のために立派な教材を提供してくださってる。

私ははめられたんだから、金をもらって口利きをしたことは悪くない。だって、政治家なんだから、口利きをするのは当然でしょ。それが政治家の仕事。そこにつけ込んで私をはめるなんて、それはひどい。私は悪くない。悪いのは、はめたやつだ。

そうでしょう。政治家なんてそんなものでしょう。そうは思っていても、この言い訳はひどすぎる。それを堂々と述べて、恥ずかしくも思わない。周りも、それを責めず、むしろかばってやる。これに比べたら、生徒の言い訳なんかかわいいものです。

たまに、言い訳が抜群にうまい生徒がいます。思わずその場で騙されてしまいます。そうか、君は政治家になればいいんだ。今まで、そんな言い訳ばかりじゃ、世の中では通用しない、と言っていた私の指導は誤りでした。


(今日も図書館と無縁の話でした。あしからず。)

0 件のコメント:

コメントを投稿