昨日、今年の県立高校の入試問題を取り上げましたが、あのような選択肢になるのには、理由があります。(問題の全体は、新聞社が発表したものがネット上にあります。)
試験問題を作るとき、まず、出題箇所を選びます。例えば、登場人物の心情がよく表れていて、表現に工夫のあるところ。ここでは、登場人物から部活の顧問教師への問いかけが問題になっています。分かりやすい部分だったせいか、選択肢の中では、主人公と顧問の先生の二人の心情を問題にしています。
答を作るとき、最初に正解の選択肢を書きます。後は間違いを作っていくのですが、A・B二人の人物について、正しい部分と間違った部分の可能な組み合わせは、次の四つになります。
A○B○、A○B×、A×B○、A×B×
実際の問題では、これがA○B○、A○B×、A×B×、A×B× の四つになっていました。AにもBにも当てはまらない選択肢が二つで、しかも分かりやすかったので、実質的には、二つに一つという選択になりました。さらに、学校文化的に「正しい」ただ一つの答が正解だったので、本文に戻らなくても答が分かってしまう問いになってしまったのでした。
正解にも思える間違いを書くのは、正解そのものを書くよりも難しいかもしれません。そのときに、選択肢の中に、学校文化の価値観を無意識に織り込んでしまうのです。単なる問いに対する答の「間違い」と、学校における道徳的な「間違い」の意味の二重化は、学校にとって重大な問題です。
「学校は間違うところ」という文化が根付かないのは、学校の中では、答の間違いが生徒の生き方の間違いと混同されているからなのです。
試験問題を作るとき、まず、出題箇所を選びます。例えば、登場人物の心情がよく表れていて、表現に工夫のあるところ。ここでは、登場人物から部活の顧問教師への問いかけが問題になっています。分かりやすい部分だったせいか、選択肢の中では、主人公と顧問の先生の二人の心情を問題にしています。
答を作るとき、最初に正解の選択肢を書きます。後は間違いを作っていくのですが、A・B二人の人物について、正しい部分と間違った部分の可能な組み合わせは、次の四つになります。
A○B○、A○B×、A×B○、A×B×
実際の問題では、これがA○B○、A○B×、A×B×、A×B× の四つになっていました。AにもBにも当てはまらない選択肢が二つで、しかも分かりやすかったので、実質的には、二つに一つという選択になりました。さらに、学校文化的に「正しい」ただ一つの答が正解だったので、本文に戻らなくても答が分かってしまう問いになってしまったのでした。
正解にも思える間違いを書くのは、正解そのものを書くよりも難しいかもしれません。そのときに、選択肢の中に、学校文化の価値観を無意識に織り込んでしまうのです。単なる問いに対する答の「間違い」と、学校における道徳的な「間違い」の意味の二重化は、学校にとって重大な問題です。
「学校は間違うところ」という文化が根付かないのは、学校の中では、答の間違いが生徒の生き方の間違いと混同されているからなのです。
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