西海市立S中図書館

2022年3月14日月曜日

ICT教育における学校文化の制約

先日、私の勤務校で起こったできごとです。

生徒が、だいぶタブレットに慣れてきたので、毎朝保管庫(充電器が付いています)から取り出し、終日手もとに置いておくことになっていました。

昨今は、かなりの私立高校が、合格発表をWeb上で行うのですが、一方、学校では、午前中に、学校宛てに直接送付されてくる紙の合格者通知を見て、昼ないし夕方、生徒に知らせることにしていました。

ある私立高校のWeb発表が午前中だったのですが、それをある生徒が、中学校における正式発表より前に、自分のタブレットで見てしまっていたのです。

これは、タブレットの目的外使用とみなされ、それ以降、タブレットは、以前のように、必要なときだけ保管庫から取り出すというやり方に戻りました。

タブレットを使っていいのは、教師の監督の下が前提で、教師に許された使途に限るという約束があったからです。

こんなのは、学校において、特別珍しいできごとという訳ではありません。生徒には、自らの知的好奇心に従って縦横にタブレットを使う自由は許されていないのです。

学校というのは、要するに、教師の持つ深遠な知識を生徒が有り難く一方的に受けとる場所なのです。知識は、水が高いところから低いところへ流れるように、教師から生徒へと受け渡されていきます。そのことに疑問を感じる教師は、ほとんどいないように見えます。

学校に根深く染みついたこの文化は、そんじょそこらのことでは変わりそうにありません。このようなやり方は、時代の動きがゆっくりで、国が発展途上にあるときには、それなりの有効性を持つのかもしれませんが、はるか以前にそんな段階は通りすぎたはずなのです。私が、学校における現在のICT教育も、なんの成果も上げずに終わるだろうと思う所以です。

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