西海市立S中図書館

2025年12月31日水曜日

法然と親鸞

先月末まで、太宰府の国立博物館で「法然と浄土宗」という展覧会がありました。なかなか見応えのある展示でした。教科書に出てくるような国宝級の絵巻物を始めとする浄土宗に関わる資料が、数多く展示されていました。 

私は、教科書的な理解で、浄土宗も浄土真宗も、どちらも阿弥陀仏を信じれば往生できるという、同じような教えだと、漠然と思っていましたが、この展覧会を見て、その違いがよくわかりました。

法然が、当時力を持っていた日本仏教の諸派から脅威と捉えられたのは当然だと思います。もし、南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生がかなうのであれば、難解な経典を読み解き、山にこもって厳しい修行をすることが無意味になってしまいます。

政治権力にとっても、その内部に浸透しつつあった法然の教えは、権力を脅かしかねない危険思想に思えたことでしょう。そのため、法然と主要な弟子たち(親鸞もその一人)は、各地に流罪になってしまいます。

こうした抵抗から自分の宗派を守るために、法然は、弟子たちに、自分の教えをゆがめることのないように誓約書を書かせています。 

法然には多くの弟子がいましたが、そのうちの一派は、その後権力に近づき、江戸時代には徳川家の信仰を引き受けました。

親鸞は、法然の直弟子ですが、自分自身には弟子はいません。戒律も、彼にとっては何ものでもなかったようです。一方、浄土宗の方は、戒律も残したし、極楽往生のための条件もいろいろ必要だとしていました。極楽の手前の三途の川には、細くて長い橋がかかっており、それが描かれた絵が展示されていましたが、極楽にたどり着くのはなかなか容易なことではなさそうに見えました。

法然は、遊女たちに、自分たちのような罪深い者でも救われるのかと尋ねられ、きっと極楽に往生できると答えたそうです。そこをさらに突き詰めたのが、親鸞の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という考えです。 

法然の教えを、最もラディカルに引き継いだのが親鸞だと言えるでしょう。今日、日本国内では、浄土真宗が信徒数第一位、浄土宗は第二位となっています。親鸞の教えが、もっとも民衆に受け入れられたというわけです。かつて権力を持っていた者らが彼らを恐れたのは、理にかなったことだったと言えるでしょう。 

もっとも、今では、浄土真宗のお寺や仏壇は、金色に輝く絢爛豪華なものになっています。極楽浄土をイメージしたものなのでしょうが、これは、親鸞の求めていたものとは正反対のように思えます。思想はこうして、年月を経る間に変質していきます。どんなに優れた思想家であっても、それに抵抗することはできなさそうです。


どうもまとまりのない文章になってしまいました。年が改まりそうなので、ここらであきらめます。皆様、よいお年をお迎えください。

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