西海市立S中図書館

2026年1月3日土曜日

正月雑感(箱根駅伝大会)

例年、正月は、どこかに出かけて過ごすのですが、今年は、久しぶりに自宅で正月を迎えました。年末にせっせと料理を作ったので、三が日は、ひたすらそれを食べるだけの、正月らしい正月でした。

それで、箱根駅伝をいつになくじっくりテレビで観戦することになりました。

以前から気になっていたのですが、この駅伝では、コースを選手よりも多くの車両が走っています。先導の白バイや、テレビ中継車は仕方がないとして、チームの監督が乗った車が選手のすぐ後にぴったり付いて走るのはどうなんでしょうか。前後の選手の距離がそれほど離れていない場合、後ろの選手からは、多いときは3台くらいにもなる車両に阻まれて、前の選手やコースの先行きが見えにくくなっているのではないでしょうか。視聴者としても、テレビの画面の中で選手の姿が何台もの車と重なるのは、見にくくて仕方がありません。

それにも増して気になるのは、ときどき、車に取り付けられたラウドスピーカーから、監督の指導の声が響くことです。中には、激しく選手を叱咤するようなものもあり、練習ならまだしも、本番でこれをずっとやられるのはかなわないと思いました。数年前にそれがネット上で取り沙汰されたこともあったようですが、何も変わっていないように思えます。

この駅伝大会が、スポーツ大会というより、正月のお祭り的な要素が強いものになっており、テレビ局やスポンサーの思惑も多く入っていて、監督の怒鳴り声もそこに含まれているとは思います。優勝校の監督などは、黙っていたら絵にならないので、ときどきテレビ向けに声を出しているようにも聞こえました。それにしても、日頃の選手たちへの指導のあり方がどうなのかと思ってしまいます。

かつては、スポーツ選手を強くするには、監督やコーチが厳しい言葉や態度で鍛えることが当たり前と考えられていましたが、それは多くのスポーツで時代遅れと捉えられるようになりました。選手の意欲を大事にしながら、根性論ではなく、科学的なアプローチで鍛えていくというのが主流になってきたと私は思っていましたが、大学駅伝の世界はそうではないのか、という疑問を持ちました。

事前の練習の際にはいろいろ指導が入るだろうというのは想像できますが、本番ではレースの進め方は選手に任せてもらえないのでしょうか。他の駅伝やマラソンなどでは見られない光景です。同じ時間帯に放映されていた大学ラグビーの場合、監督は外から観戦しています。当然、作戦は自分たちで考えていかなければなりません。大学生にもなって、選手は一人前の人格とは見なされていないというところに大きな疑問を感じます。

大げさに言えば、駅伝大会に垣間見えるこうした指導のあり方は、日本のスポーツ界や教育界全体に根強く残っている、古くさい教育観の残滓のようにも思えます。また、そうした「厳しい指導」を歓迎する空気が、マスコミや視聴者の中にもあるのでしょう。

往路で劇的な逆転優勝を果たした選手たちや監督、自分たちの持てる力を最大限発揮しようとしていたその他すべての選手たちには、最大限の敬意を払いたいと思います。が、すごいレースを見せてくれたと手放しで感動してばかりはいられないと思ったのでした。

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