選書のあり方について、平湯夫妻と議論。
「図書館が文化を象徴する場所である」と昨日書きました。ならば、それなりの質が求められるというのが平湯先生の考え。
平湯路子さん(平湯夫人)も、例えば一番手前の目立つところに、あまり良質でないものを置きたくないという考え。
平湯先生、日頃から蔵書の鮮度について言っているけど、読まれればいいというものじゃないよ、文化なんだからちゃんとしたものじゃないと、と。
私は、文化というのをもう少し幅の広いものと考えています。ケータイ小説も文化だと。
以前、どこかで、作曲家のなかにし礼さんが、音楽を船にたとえて、先の方で波を切る部分も必要だし、後ろからついて行くところも必要で、自分たちは(前衛音楽と違って)後からついて行くところにいる、だが、それも必要な部分に違いない、という趣旨のことを述べていました。
流行歌ももちろん文化の一つ。じゃ、図書館はどの部分をすくい取るのか。簡単には結論は出ませんが、できれば全体、ということになるのでしょう。
ただ、個々の図書館にはそれぞれの事情があるので、重みの置き方は変わってくるでしょう。
うーん、難しい。そのバランスを考えながらやっていく、と言うのは簡単ですが。この課題に万能の処方箋はないんですよね。この稿続く(たぶん)
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