西海市立S中図書館

2011年5月26日木曜日

学校図書館問題研究会編『教育を変える学校図書館の可能性』教育史料出版会、1998

もう13年前に出た本です。学校図書館法の一部改正がなされた直後の出版。


その頃のことを思い出すと、穴に入りたくなります。某市教育委員会で、学校図書館の担当してました。今思えば、何にもわかっちゃいなかったですね。でも、役目上、エラそうな顔をして自分の知らないことも「指導」しなくちゃならなかったんです。平湯先生のところを直接訪ね、研修会の講師をお願いしたのは、私としてはましな仕事だったということになるでしょうか。

学校図書館法の改正を受けて、司書教諭の不足が予想され、司書教諭の促成栽培が始まったときでもありました。県教委から年度ごとの人数割り当てが来て、とにかくそれだけの数の受講者を出さなければなりませんでした。

私は個人的にはこの制度に反対でした(今も反対)。だから私は司書教諭の資格を取っていません(おいおい)。

少なくとも、そのときは、さまざまな議論がある中、司書教諭を発令するときは、専任にはできないけど、授業時数を軽減する等の措置を必ず行うという説明がなされていました。あの約束はどうなったんでしょう?誰もそんなこと覚えちゃいないのか、忘れたフリしてるだけなのか、司書教諭の発令がなされて、いったい何が変わったんでしょうか。

おっと、思わず話がそれてしまいました。

この中に「学校図書館も図書館である」という言葉がありました。私もその意見に賛成です。学校というのがとかく物理的にも心理的にも閉ざされた場所となりがちな中で、学校図書館は相対的に独立した場所であってほしいと思います。

その意味でも、学校の中の本を置いてある場所~図書室~ではなく、ぜひ図書館と呼びたいと思っています。館と呼ぶには恥ずかしいくらいの中味であっても、です。

ここに紹介されている八つの学校の様子を、ふんふん、あれも当てはまる、これも当てはまると思いながら読み進めました。

私の現状がいまちょうどそれくらいの位置にあるということにもなるのでしょう。生物学に、「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼがありましたが、誰もがどうしても通過しなければならない場所というのがあるのだと思います。

もちろん、そこをゆっくり通過するのか、駆け足で通過するのか、といった違いはそれぞれにあるでしょう。でも、省略することはできないように思います。

こうした先駆者の言葉は、自分の立ち位置がそんなに見当外れの所にはないことを確信させてくれます。学図研の人たちが何を考えている(いた)のだろうと思って読んだのですが、ちょうど今の私にぴったりの内容でした。

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