西海市立S中図書館

2013年2月25日月曜日

市中学校図書館部会(選書)

選書となると、必ず問題になるのが、ケータイ小説と、残酷な表現のある小説。

「学校」という冠がつくと、どうしても教育的配慮とやらが先立ってしまいがち。本の「価値」はいったい誰が決めるのでしょうか。

保護者や教師や学校司書が価値があると考える本があることは当然ですが、一方、読み手の側が価値があると考えるものがあることも当然と思ってもらわないと。

そして、両者はしばしば一致しません。

娘が小さい頃、毎晩本を読みながら寝かしつけていましたが、何を読むかという点では、なかなか意見が一致しませんでした。私はいわゆる「よい絵本」を読みたい。娘はアンパンマンや昔話を簡潔にリライトした絵本を喜ぶ。

毎晩、そのせめぎあい。娘の方が、親の勝手な趣味に付き合ってくれていたフシもあります。

その本が読むべき価値があるかどうか、学校に置く価値があるかどうか、そんなに簡単な問題ではありません。

人がどんな本を選んで読むのか、それは、その人が決めることです。もちろん、どの生徒にも、いい本をたくさん読んでもらいたいと思いますが、だからといって、あなたの読んでる本は価値がないからこっちにしなさいと言うのはいかがなものか。

また、残酷な描写がだめなら、ホラー映画はどうなんでしょう。性的な表現が気になるなら、テレビのスイッチは入れられないでしょう。

私の学校でも、女子生徒の多くが朝読書で読んでいるのはケータイ小説です。この子たちはみんないたってまっとうな、普通の生徒たちです。

子どもたちは、ケータイ小説ごときでどうにかなるような単純でヤワな存在ではありません。私たち自身も、雑多なノイズに取り囲まれて育ってきたと思います。

ある時期、そのノイズが気になって仕方がないという年代もあるでしょうが、通過すれば忘れてしまうものです。あまり神経質にならない方がよいと思っています。

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