魯迅の『藤野先生』に次のような場面があります。魯迅が、医学をやめて文学を志すようになったきっかけとなる事件です。
だが私は、つづいて中国人の銃殺を参観する運命にめぐりあつた。第二学年では、細菌学の授業が加わり、細菌の形態は、すべて幻燈で見せることになつていた。一段落すんで、まだ放課の時間にならぬときは、時事の画片を映してみせた。むろん 日本がロシアと戦つて勝つている場面ばかりであつた。ところが、ひよつこり、中国人がそのなかにまじつて現われた。ロシア軍のスパイを働いたかどで、日本軍に捕えられて銃殺される場面であつた。取囲んで見物している群集も中国人であり、教室のなかには、まだひとり、私もいた。「萬歳!」彼らは、みな手を拍つて歓声をあげた。(竹内好訳)
日露戦争からは、まだ100年ほどしか経ってません。中国人が殺される場面を見て拍手喝采していたのは、医学部の学生たち。
こうした残虐さは、私たちの誰もが持ち合わせているものではないかと思います。
魯迅の『故郷』は、中学校3年生の国語教科書の定番教材です。そして、指導書や録音教材には、『藤野先生』の本文も付け加えられていました。
ところが、現在使用しているM社の教科書の指導書には、これがないのです。普段、指導書は参照しないので、気づいていませんでした。
(教科書の指導書というのは、文部科学省の学習指導要領とは関係ありません。教材の分析や、授業の進め方などを詳細に記した、教科書の付録みたいなものです。付録がなければ本体も売れないので、教科書の営業上なくてはならない存在です。また、極めて高価であるという特徴もあります。)
私は、上に引用した箇所があるため、教科書会社が意図的に外しているのではないか、と勘ぐってます。
テロリストの残虐さばかりが強調されます。そうではないなどと言うつもりはありません。ただ、邪悪なことはすべて敵の属性で、自分たちは常に潔白であると信じて(信じたがって)いるとしたら、それはあまりにもナイーブな考え方でしょう。
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