どちらも、古い天守が現存する数少ない城です。姫路城の方は年末の休みで中を見ることはできませんでした。
姫路城は、その優雅な姿が有名ですが、近くに寄ると、その美しい姿の裏にある、創建者の強烈なメッセージを感じました。
傍に立つと、この城を攻め滅ぼすことができるとはとても思えないことに気づきます。勝負をする前に、すごすごと引き返さざるを得なくなるような迫力がありました。
彦根城の方は、天守はよそから移築したものらしく、城郭の大きさに比べて、冗談のように小さなものでした。
しかし、姫路城同様、お堀の位置から高い石垣を眺めると、天守までたどり着くことが極めて困難なことがすぐに分かります。
すでに戦乱の世は終わりかけていた頃に造られた城で、実戦に備える必要はもうなかったのかもしれません。
ただ、権力を誇示するためだけに、こんな大きな規模のものを造ってしまう当時の権力者の権力意志に打ちのめされる気がしました。
姫路城は、その優雅な姿が有名ですが、近くに寄ると、その美しい姿の裏にある、創建者の強烈なメッセージを感じました。
傍に立つと、この城を攻め滅ぼすことができるとはとても思えないことに気づきます。勝負をする前に、すごすごと引き返さざるを得なくなるような迫力がありました。
彦根城の方は、天守はよそから移築したものらしく、城郭の大きさに比べて、冗談のように小さなものでした。
しかし、姫路城同様、お堀の位置から高い石垣を眺めると、天守までたどり着くことが極めて困難なことがすぐに分かります。
すでに戦乱の世は終わりかけていた頃に造られた城で、実戦に備える必要はもうなかったのかもしれません。
ただ、権力を誇示するためだけに、こんな大きな規模のものを造ってしまう当時の権力者の権力意志に打ちのめされる気がしました。
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