学力向上の話の続きです。
学校教育の質を変え、真に求められている学力の向上を目指すなら、今の一般的な学習のあり方を根本から見直さなければなりません。
求められているものが違ってきているという意識は、学校教育の世界にも、だいぶ前からありました。評判の悪いゆとり教育の時代には特に強調されていました。「ゆとりと充実」という掛け声でやっていたのです。
ゆとり教育の一番の失敗は、学力低下を招いたことではなく、学校教育の質の変化を実現できなかったことでした。でも、これまでそれに成功した試しがないので、ゆとり教育だけがやり玉に挙げられるのはおかしな話です。
「ゆとり教育が悪い」というのは、単なる流行の辞句にすぎません。ひょっとしたらそれを何かの言い訳にしたい人たちもいたかもしれませんが。
それ以前もその後も、学校には、手を替え品を替えて同じような課題が繰り返し登場しましたが、現場はまったく変化しませんでした。現在、これまでとはまったく違ったアプローチで学校を作ろうという試みがいくつかなされているようですが、公教育全体がそのように変わるとは、現状からはまったく想像できません。
知識をどんなに蓄積しても、それは学力にはなりません。特に、今までに見たことのない課題に対して答を見いだす力なんて、そこから勝手に生まれてはきません。「教養」という言葉がありますが、それは単なる知識の集積を意味しているのではなく、創造力も含めた、全人格とかかわる概念です。
では、学校では何をすればいいのか。どの教科でも、課題を自ら見つけて答を探すような学習を繰り返すことです。当然、課題は人によって違いますし、答を見つける過程も、答えもみんなさまざまでしょう。
答はもちろん大切ですが、ここで一番大事なのは、どのような手だてで課題にアプローチし、それをどのような形で表現するのかという方法を身に付けることです。
そして、もう一つ、正解を求めないこと。この国の学校文化の中にある、一つの正解を求める根強い志向(教師と生徒の双方にあります。)と、正解でなければ(あるいは、正解だと分かっていも)発言しようとしない子どもたちも、学力向上の大きな阻害要因でしょう。
ここでどうしても必要になってくるのが図書館の存在です。ただし、そういう学習に対応するには、広さを普通教室の4倍くらいにし、図書購入の予算を10倍くらいにして、常勤の司書を複数配置しなければなりません。
まあ、そこまで言わなくとも、予算を大幅に増やし、毎日司書がいる状態にすることは必須でしょう。
自分で書きながら、当面そのようにはなりそうもないと思ってしまいます。それでもやっぱり、目標は掲げておかないとですね。
学校教育の質を変え、真に求められている学力の向上を目指すなら、今の一般的な学習のあり方を根本から見直さなければなりません。
求められているものが違ってきているという意識は、学校教育の世界にも、だいぶ前からありました。評判の悪いゆとり教育の時代には特に強調されていました。「ゆとりと充実」という掛け声でやっていたのです。
ゆとり教育の一番の失敗は、学力低下を招いたことではなく、学校教育の質の変化を実現できなかったことでした。でも、これまでそれに成功した試しがないので、ゆとり教育だけがやり玉に挙げられるのはおかしな話です。
「ゆとり教育が悪い」というのは、単なる流行の辞句にすぎません。ひょっとしたらそれを何かの言い訳にしたい人たちもいたかもしれませんが。
それ以前もその後も、学校には、手を替え品を替えて同じような課題が繰り返し登場しましたが、現場はまったく変化しませんでした。現在、これまでとはまったく違ったアプローチで学校を作ろうという試みがいくつかなされているようですが、公教育全体がそのように変わるとは、現状からはまったく想像できません。
知識をどんなに蓄積しても、それは学力にはなりません。特に、今までに見たことのない課題に対して答を見いだす力なんて、そこから勝手に生まれてはきません。「教養」という言葉がありますが、それは単なる知識の集積を意味しているのではなく、創造力も含めた、全人格とかかわる概念です。
では、学校では何をすればいいのか。どの教科でも、課題を自ら見つけて答を探すような学習を繰り返すことです。当然、課題は人によって違いますし、答を見つける過程も、答えもみんなさまざまでしょう。
答はもちろん大切ですが、ここで一番大事なのは、どのような手だてで課題にアプローチし、それをどのような形で表現するのかという方法を身に付けることです。
そして、もう一つ、正解を求めないこと。この国の学校文化の中にある、一つの正解を求める根強い志向(教師と生徒の双方にあります。)と、正解でなければ(あるいは、正解だと分かっていも)発言しようとしない子どもたちも、学力向上の大きな阻害要因でしょう。
ここでどうしても必要になってくるのが図書館の存在です。ただし、そういう学習に対応するには、広さを普通教室の4倍くらいにし、図書購入の予算を10倍くらいにして、常勤の司書を複数配置しなければなりません。
まあ、そこまで言わなくとも、予算を大幅に増やし、毎日司書がいる状態にすることは必須でしょう。
自分で書きながら、当面そのようにはなりそうもないと思ってしまいます。それでもやっぱり、目標は掲げておかないとですね。
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