小学生の頃、がらんとした図書室で本を読み漁っていた覚えはありますが、そこに誰がいたか思い出せません。例に漏れず、伝記物や動物記などを、片っ端から読んでいました。
家にあった子ども向けの雑誌は、小さな活字で組まれた保護者向けの欄まで読み尽くしていました。思えば、小学校の中学年くらいが、私の一番活字に飢えていた時代だったかもしれません。
家から歩いて行ける距離に県立図書館があったので、子ども室にも通い詰めていました。もちろん、複数の司書がいました。小学校の高学年になると、自然科学方面の本をよく読むようになりました。湯川秀樹さんの素粒子論をやさしく解説した本がなぜか印象に残っています。電子工学に夢中になっていて、自分の好きな分野では、小学生向けの本には物足りなさを感じるようになっていました。
中・高生となると、私の読書傾向は文学の方に偏ってきましたが、もちろん図書室にはよく行っていました。中央公論社の「日本の詩歌」シリーズ(藤色の表紙)が好きでした。文庫本にはないグラビアのページが印象的でした。中学校の図書室には、当時としては例外的だったと思いますが、司書の仕事をする人(たぶん、正規の司書ではなかった)がいました。
高校の薄暗い図書室(戦前に建てられた校舎で、全体が暗かったですが)には司書がいて、静かな人だったという印象だけが残っています。今思えば、人柄ではなく、仕事柄だったのかもしれません。
市内の老舗の書店にもよく行っていて、どこに何があるか、棚の中味はほぼ頭に入っていました。今では考えられませんが、それほど大きな書店でもないのに、マイナーな詩人の新刊詩集が置いてあったりもしました。自分の本が欲しくなり始めた時期でもあります。
その頃、親にねだって、新しく出始めた河出書房新社の「日本現代詩体系」(全13巻、緑のクロス装)を買ってもらいました。代表的な詩集は、アンソロジーではなく、丸ごと収録されているのが売りで、好きな作家のものは全部読みたいというオタク的な欲望をかなえてくれる本でした。
家にあった子ども向けの雑誌は、小さな活字で組まれた保護者向けの欄まで読み尽くしていました。思えば、小学校の中学年くらいが、私の一番活字に飢えていた時代だったかもしれません。
家から歩いて行ける距離に県立図書館があったので、子ども室にも通い詰めていました。もちろん、複数の司書がいました。小学校の高学年になると、自然科学方面の本をよく読むようになりました。湯川秀樹さんの素粒子論をやさしく解説した本がなぜか印象に残っています。電子工学に夢中になっていて、自分の好きな分野では、小学生向けの本には物足りなさを感じるようになっていました。
中・高生となると、私の読書傾向は文学の方に偏ってきましたが、もちろん図書室にはよく行っていました。中央公論社の「日本の詩歌」シリーズ(藤色の表紙)が好きでした。文庫本にはないグラビアのページが印象的でした。中学校の図書室には、当時としては例外的だったと思いますが、司書の仕事をする人(たぶん、正規の司書ではなかった)がいました。
高校の薄暗い図書室(戦前に建てられた校舎で、全体が暗かったですが)には司書がいて、静かな人だったという印象だけが残っています。今思えば、人柄ではなく、仕事柄だったのかもしれません。
市内の老舗の書店にもよく行っていて、どこに何があるか、棚の中味はほぼ頭に入っていました。今では考えられませんが、それほど大きな書店でもないのに、マイナーな詩人の新刊詩集が置いてあったりもしました。自分の本が欲しくなり始めた時期でもあります。
その頃、親にねだって、新しく出始めた河出書房新社の「日本現代詩体系」(全13巻、緑のクロス装)を買ってもらいました。代表的な詩集は、アンソロジーではなく、丸ごと収録されているのが売りで、好きな作家のものは全部読みたいというオタク的な欲望をかなえてくれる本でした。
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