政治家のみなさん、コロナウィルスの感染の広がりによって起こるだろう学力格差がそんなに気になるなら、まず、親の経済力による学力格差をどうにかしてください。
経済力の格差が学力格差を生んできたことはすでに周知の事実です。それを解決するには、まず、お金の社会的な偏在をなくすことが求められます。消費税を増やすのではなく、所得税の累進性を増したり、利益を上げている企業の税金を増やすということです。
次に、公立学校の学費は、すべて無料とする。教育の機会均等を実現するには、それしかありません。
収入が少ないのは個人的な努力が足りないせいなので、努力しない者が経済的に困窮するのは当然だ、といった考え方に立てば、国全体の学力向上など望めません。そもそも、個人の努力が経済的な成功に結びつくというのは、高度成長期に形作られた幻想です。学校も、そうした幻想に乗っかって、生徒達に意味のない努力を強いています。
富国強兵のためには、まず公教育の充実が必要だというのは、明治時代の政治家にとっては常識だったと思うのですが、いつの間にかそれが忘れ去られてしまったようです。
教育の充実というのは、機会の均等だけではありません。併せて、教育の質の向上も求められます。努力することそのものが貴重で、結果の問題じゃないとか、知識の詰め込みこそが教育なんだという考えが、相も変わらず、学校現場には染みついています。これでは国民の労働生産性なんか上がりっこないです。
経済力の格差が学力格差を生んできたことはすでに周知の事実です。それを解決するには、まず、お金の社会的な偏在をなくすことが求められます。消費税を増やすのではなく、所得税の累進性を増したり、利益を上げている企業の税金を増やすということです。
次に、公立学校の学費は、すべて無料とする。教育の機会均等を実現するには、それしかありません。
収入が少ないのは個人的な努力が足りないせいなので、努力しない者が経済的に困窮するのは当然だ、といった考え方に立てば、国全体の学力向上など望めません。そもそも、個人の努力が経済的な成功に結びつくというのは、高度成長期に形作られた幻想です。学校も、そうした幻想に乗っかって、生徒達に意味のない努力を強いています。
富国強兵のためには、まず公教育の充実が必要だというのは、明治時代の政治家にとっては常識だったと思うのですが、いつの間にかそれが忘れ去られてしまったようです。
教育の充実というのは、機会の均等だけではありません。併せて、教育の質の向上も求められます。努力することそのものが貴重で、結果の問題じゃないとか、知識の詰め込みこそが教育なんだという考えが、相も変わらず、学校現場には染みついています。これでは国民の労働生産性なんか上がりっこないです。
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