日本の入院病床数の人口比は、圧倒的な世界一を誇っていたはずです。それなのに、感染症の「さざ波」が打ち寄せるとすぐに医療崩壊してしまう。そんなことになってしまう原因は、すでに様々指摘されていますが、端的に言うと、これまで日本が推し進めてきた、医療や教育といった公的サービスの私事化のせいです。
病院が私的な経営に委ねられているため、普段から入院病棟は余裕のない状態に置かれており、スタッフもギリギリの数で回している。感染症患者を受け入れることは、病院経営のためには明らかにマイナスで、病院の多くを占める私立の病院があえてそうする理由がありません。昨年、感染拡大の兆しが見え始めた頃から、すでにこうした問題点が指摘されていたのに、積極的な改善はなされないままでした。
政治的にそうした方向性を強く打ち出している大阪において、医療の逼迫がもっとも顕著に現れているのは、そういう政治の方向性がもたらす当然の帰結です。そういう意味で、大阪の現状は、政治家による人災であると言えると思います。危機的状況に陥って、そのことが露呈してしまいましたが、当の政治家達は、それに気づいているようにはまったく見えません。
教育においても、同じような傾向があります。国立大学が独立行政法人となったというのは、単純化して言えば、大学が会社になったということです。当然、短期的に成果が見えないところには予算が配分されなくなります。お金の回ってこない基礎研究に携わる人はいなくなってしまう。
教育工学という分野があります。教育を、産業の言葉で語ろうとする学問です。会社経営と学校教育とは似ても似つかないものですが、産業社会で用いられる用語や概念を学校にあてはめることに抵抗を持つ人は、もはやほとんどいなくなってしまったかもしれません。子どもを育てることと、儲かる商品を生産することが、同じ論理の枠組みの中で語られるというのは、私には理解できません。
こうして、教育も滅びの道を歩み続けています。コロナ禍は、1980年代から続くこうした流れが、とても危ういものだということをあからさまにしてくれました。これでは日本に未来はないのだということに、政治を担う人たちが気づいてくれることを願うのみです。
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