西海市立S中図書館

2011年5月31日火曜日

県教育センター

昨日・今日と、県の教育センターで研修。免外担当者の研修会で、数学の勉強をみっちりやりました。それはさておき、今日の本題は、センターのロビーに展示してある本などの話です。


壁には、「子どもの読書活動を推進しよう」や「県民が子どもにすすめる本200選」といった掲示がありました。

実は前に来たとき(ちょうど2年前、やはりそのときも免外研でした)この掲示物が下のラインでそろえてあったので(12月21日のブログ参照)、それはよくないと指摘しておいたのでした。それについては、ここにあるように張り替えてありました。ずいぶん印象が柔らかくなったと思います。ご苦労様です。


そのときに、この展示台についても触れていたのですが、ここはそのままでした。手前に大きな本を立ててしまったら、後ろが見えません。手前の本は寝かせるなどするべきところでしょう。

12月17日のブログで紹介したH小の写真をみてもらうと、違いがはっきりすると思います。たくさんのものが飾ってありますが、どれもよく見えるように置いてあります。

それから、手の込んだポップが作ってありました。それはよいのですが、小さな面積に、小さい字や模様が詰まりすぎ。どこでもいい、近くの書店に行ってみてください。ポップの字の大きさがどれくらいか。ぱっと見てさっと読めるくらいの大きさ/字数にすべきでしょう。


この絵本架についても、深すぎることと、本が横に差してあったり、表紙が見えなかったりしたのを指摘しておいたのですが、さすがに横になっているのはありませんでした。でも、相変わらず表紙はよく見えません。なんだか、差し方も美しくないなぁ。

覗いてみたら、段ボールで浅くしようとはされたようです。でも、これでは十分ではありません。表紙のほとんどが見えるくらいまでかさ上げしないと。

それから、下の写真のように、本が手前に倒れてしまっては効果半減。なぜか、底上げの段ボールがななめになっており、そのことも影響しているようでした。


さらに、200選の次の500選、予算がなくて、決めただけに終わったのか、チラシなんかありませんでした。県教委お膝元のセンターですから、リストやチラシくらいはおいといてね。>県教委 様

予算なしで何か目につくことやらなければならない、苦しい台所事情には同情いたしますけどね。

手厳しいこと書いてるのは、天下の県教委がやってることだからですよ。いろんなところで、みなさんへの見本を示してもらわないと。

2011年5月30日月曜日

図書館員の問題調査研究委員会編『「図書館員の倫理綱領」解説』日本図書館協会、1981

昨日の『図書館の自由に関する宣言』とセットと言ってよい一冊。


第3は「図書館員は利用者の秘密を漏らさない。」となっていて、宣言の第3と重なります。

この綱領と、ブログを書くこととの兼ね合いは難しいです。ちょっと書き過ぎか、と思うことなきにしもあらず。

匿名性がどれくらい保てているのかどうか、匿名なら書いてよいのかどうか。

ブログという表現の在り方とも関わってきますが、折々、特に印象に残ったことは、そのときに書いておきたい。私の関わっている図書館のリアルな姿は伝えておきたいのです。

平湯文夫先生に関しては、実名で登場しますが、平湯先生は公人と言っていいでしょうから、人となり、その考え方を伝えるという意味で、書かせてもらってます。

私が申し開きをするとすれば、この問題点を意識した上で書いているのだということになるでしょうか。う~ん、単なる言い訳?


なお、増補版が2002年に出ていますが、これも中古しか手に入らないようです。






2011年5月29日日曜日

図書館の自由に関する調査委員会編『図書館の自由に関する宣言 1979年改訂』日本図書館協会

ときどき取り出して眺める本がいくつかあります。これもその一つ。


宣言そのものは短いのですが、学校図書館との関わりで、「第2 図書館は資料提供の自由を有する。」や「第3 図書館は利用者の秘密を守る。」は問題になるでしょうね。

しかし、考えを進めるに当たっての原則はここにあると思います。そして、ものごとはなるべく原則に沿った形で解決したいと思っています。

そのためにも、ときどき読み直しておなかないと、ついつい原則を外れてしまうことになりがち。

例えば、選書の際、教育的配慮の名の下に、不必要な制約を科していないかどうか。常に原則に照らして判断したいと思います。

また、個々の生徒の読書傾向についての情報。指導上それが必要であるという場面、実はほとんどないんじゃないでしょうか。それがなければ指導に困難をきたす、なんてことにはなりそうにない。第3は、原則通り行きたいです。

何冊読んだか、なんてことだって、知られたくない生徒もいるものです。前任校で一番の読書家の女の子はそうでした。カード式で、一枚終わると二枚目を貼り付けて使っていたのですが、その子はカードが厚くなるのを嫌がっていたので、外して見えないところに保管しました。捨ててもよかったのかもしれませんが、統計のために、いちおう取っておきたかった。

ちなみに、この本、現在は入手できないようです。替わりに、『「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」解説』が同じく日本図書館協会から出版されています(2004)。

2011年5月28日土曜日

教員免許更新講習

何だかよく分からない制度なんですが、受けないと免許が失効すると言われると、受けざるを得ません。この制度の不合理さは、裁判してもいいくらいだと思ってますけどね。

で、今日は台風接近による雨の中、長崎大学経済学部に1日缶詰。三つの講義(演習)を受けました。テストもありましたが、授業で使った資料持ち込み可で、しかも、講義の内容を要約するような問題だったので、不合格はあり得ないでしょう。

旧長崎高商倉庫(本文とは関係ありません)
国語の講座はまったく興味が湧かなかったので、経済関係にしてみたのですが、内容は知的刺激に満ちていて、面白かったです。でも、これ聴いて、なんで教員免許の更新の要件になるのか???

最初は現代の自由貿易の由来という、やや歴史的な話でした。その講義を持った教授は、3人の先生の中では一番保守的で、学究肌の人でしたが、自由貿易の定義を示すのに、ウィキペディアの解説を引用してました。

学問の世界でも、ウィキはすでにこれくらいの信用は持たれているんだと思った次第。

二つ目の講義は、企業で新製品開発などに携わっていた人の担当でした。教育もサービスであり、スキルと技能を提供するという点では、他のサービスとなんら変わりはないとのお考え。グループで解くように出された課題は難しかったですが、教育の方法論として聴いても面白かったです。スキルと技能が教育のすべてか、という問題は残りますけど、教育がサービスなんだという考えはもっと強調されてもいいかも。

最後は国の機関から出向してきている人の税についての講義。つづめて言えば、今後増税と公共サービスの縮小は避けて通れない道であるとのこと。そうした前提の上で、どのように税制を変えていったらよいのかという問題提起がありましたが、1日のにわか勉強では答えの出せるような課題ではありません。

う~ん...知恵熱出そう。

2011年5月27日金曜日

西海市訪問

野外宿泊学習の振り替えで休みが取れたので、久々に前任校のあった西海市に行きました。私のいた学校と一緒になることになっている、隣の学校です。

司書はその二つの学校の兼務で、統合されたら専任!大所帯の長崎市よりずっと条件いいです。

同じ町内にある二つだけの中学校で、同じ時期に建てられているので、図書館の設計もほぼ同じ。ただ、工事をした業者が違っているのか、細部の仕様が違っていました。

前任校で作った掲示板や展示台、持ってきて利用できるようなので、私としてはありがたい限り。

カウンターは、左右の向きが違うだけで、まったく同じ物でした。下の写真は、取り付け部です。床にL型の金具で簡単に固定してあるだけだということが分かると思います。それから、上の方に見えているネジで、二つの部分に分解できます。黒い脚の部分も外すことができます。


ちょっと注意してみれば、このように、動かしたり改造したりできるかどうかがわかります。注意することがあるとすれば、さび付いた古い木ネジなどを外すとき、ネジ山を潰さないようにすること。潰してしまうと後がやっかいになることもあります。ま、強引にぶち切るという解決になるでしょうが。


入り口を入って右側の壁にある、必要のない黒板が、ゴザで上手にカモフラージュされてました。

この背後の黒板は、後から付けたもののようで、簡単に取り外せます。ここには、前任校から、大型のすのこ掲示板を持ってきて取り付けられそうです。左にちょっと見えている洗面台も外さなければなりませんが。


すのこに、こんな使い方もあったのか!と思わせる一品。

いやぁ、少ない予算をやりくりして、いろいろ工夫されてました。前任校の方にある品物をいくつか入れれば、見違えるようになるでしょう。外に出してしまいたいものも、本以外にたくさんありました。全体的なプランは、ゆっくり考えましょうね。


2011年5月26日木曜日

学校図書館問題研究会編『教育を変える学校図書館の可能性』教育史料出版会、1998

もう13年前に出た本です。学校図書館法の一部改正がなされた直後の出版。


その頃のことを思い出すと、穴に入りたくなります。某市教育委員会で、学校図書館の担当してました。今思えば、何にもわかっちゃいなかったですね。でも、役目上、エラそうな顔をして自分の知らないことも「指導」しなくちゃならなかったんです。平湯先生のところを直接訪ね、研修会の講師をお願いしたのは、私としてはましな仕事だったということになるでしょうか。

学校図書館法の改正を受けて、司書教諭の不足が予想され、司書教諭の促成栽培が始まったときでもありました。県教委から年度ごとの人数割り当てが来て、とにかくそれだけの数の受講者を出さなければなりませんでした。

私は個人的にはこの制度に反対でした(今も反対)。だから私は司書教諭の資格を取っていません(おいおい)。

少なくとも、そのときは、さまざまな議論がある中、司書教諭を発令するときは、専任にはできないけど、授業時数を軽減する等の措置を必ず行うという説明がなされていました。あの約束はどうなったんでしょう?誰もそんなこと覚えちゃいないのか、忘れたフリしてるだけなのか、司書教諭の発令がなされて、いったい何が変わったんでしょうか。

おっと、思わず話がそれてしまいました。

この中に「学校図書館も図書館である」という言葉がありました。私もその意見に賛成です。学校というのがとかく物理的にも心理的にも閉ざされた場所となりがちな中で、学校図書館は相対的に独立した場所であってほしいと思います。

その意味でも、学校の中の本を置いてある場所~図書室~ではなく、ぜひ図書館と呼びたいと思っています。館と呼ぶには恥ずかしいくらいの中味であっても、です。

ここに紹介されている八つの学校の様子を、ふんふん、あれも当てはまる、これも当てはまると思いながら読み進めました。

私の現状がいまちょうどそれくらいの位置にあるということにもなるのでしょう。生物学に、「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼがありましたが、誰もがどうしても通過しなければならない場所というのがあるのだと思います。

もちろん、そこをゆっくり通過するのか、駆け足で通過するのか、といった違いはそれぞれにあるでしょう。でも、省略することはできないように思います。

こうした先駆者の言葉は、自分の立ち位置がそんなに見当外れの所にはないことを確信させてくれます。学図研の人たちが何を考えている(いた)のだろうと思って読んだのですが、ちょうど今の私にぴったりの内容でした。

2011年5月25日水曜日

野外宿泊学習2日目

教育課程が変わって、宿泊学習は小学校でウェイトが大きくなり、中学校ではそれに替わって職場体験が重視されるようになりました。で、私の学校では今年から1泊2日に縮小。中学校ではやっていないところも結構あると思います。

もちろん、小学校で大いにやってもらいたいです。でも、中学校も、職場体験に行くより前にやるべきこと、たくさんあるように思います。

昨日の夜に薪で火をおこし、今日は昼食を作るのにまた火をおこしました。2度目くらいでは、なかなか火がおこせないグループもいくつかありました。

何本マッチをすって火種を作ろうとしても、すぐに消えてしまうのです。見ていると、炎が上がるのを待たずに、どんどん木を加えてしまう失敗が多いようでした。弱々しい火をいじったり、その上にどさっと他の木をのせたり。「ちょっと待ってみて」と言っても待てない。

逆に、火種はできて、加える木を太くしてもいいのに、いつまでも木くずみたいなのを使っていたり。

時間枠の中でやっているので、ほどほどで手を貸しますが、ほんとはもっととことんやらせてみたいものです。3~4日、テントで暮らして、ひたすら自分たちの手で食事を作らせるだけでも、教育的効果、大きいと思うんですが。

ところで、職員のグループでは、もやしを洗うかどうかで論争が起こっていました。私の意見も求められましたが、「そんなの、どっちでもいいよ」。中間の妥協点がないので、洗わなかったら食べられないという意見に従わざるをえませんでしたが。

帰ってから手許の料理の本を見てみたら、レシピによって洗うと書いてあったり、そのまま熱を加えたりと、いろいろでした。(ひげ根を切る、なんてレシピも結構ありましたが、普段そこまでやる時間あります?)

でも、私、いちおうアウトドア派なので、その立場から言えば、もちろん洗いません。船の上で、水は貴重品です。航海中、私の乗っているような小さな船では、飲み水はポリタンクに汲んできて使います。洗い物には海水を使い、真水ですすぐだけ。船に作り付けの水タンクもありますが、量が限られていることに変わりはないので、なるべく清水は使わないようにします。

ちなみに、水は港の待合所などにある公衆便所から調達することが多いです。それだけでもう飲めないと思う人、いるかもしれませんね。そんな方にはお引き取りいただくしかありません。夜、冷房がないと寝られない人や、ウォッシュレットのついたトイレじゃないと用を足せない人も、ね。

2011年5月24日火曜日

野外宿泊学習


国立諫早青少年自然の家です。1年生を連れて、野外宿泊学習に来ています。

夜は大きなキャンプファイヤーではなく、焚き火を囲んで静かに語り合う時間にしました。少人数で、小さな火を起こして。

ほんとは少し夜更かししたかったところですが、お風呂の時間がぎりぎりで、9時過ぎに終了。今までやったことのない試みでしたが、なかなかよかったと思います。

2011年5月23日月曜日

ハードディスクトラブル

青くなりました。今までの写真データすべてが消えたかと思いました。

そもそも、事の起こりは、ハードディスクがいっぱいになったので、データを少し整理しようと思ったことでした。

まずは、外付けハードディスクに、全体のバックアップを取りました。

次に、内蔵ハードディスク(二つ入れてます)のいっぱいになった方から、もう一つへ写真データをまとめて移動しました。二つめのハードディスクは、パーティションを切って二分割していました。これで、二重にコピーができたことになります。

さらに、メインのハードディスクの残りの部分を、二つめのハードディスクのもう一方のパーティションにコピーしました。これが悪夢の始まり。

数時間はかかる作業なので、しばらくほったらかして、止まっていたようなので見てみると、作業が途中で中断されていたのです。おまけに、理由はわかりませんが、二つめのハードディスクは、コンピュータから認識できなくなっていました。認識するには、フォーマットが必要だったので、フォーマットを試みたら、認識できるようになりました。もちろん、フォーマットしたことで、データは失われますが、最初のバックアップがあるから大丈夫!

と高をくくっていたら、とんでもありませんでした。やおら外付けハードディスクのバックアップを復元しようとしたら'This file is damaged.'というメッセージが出て、復元できないのです。

二重に安全策を取ったはずが、バックアップは全部なくなってしまったのです。

過去の写真はあきらめるとしても、現在やっている大事な仕事に、この写真ファイルはどうしても必要です。6月と夏休みには、発表もすることになっていて、写真なしではとうてい無理です。

一瞬頭が真っ白に...

とりあえずは、残っているデータの残骸を拾い集めることにしました。USBメモリーや、カメラのSDカード、生き残っているハードディスクの空いた領域などに残っているファイルの痕跡を復元してくれるソフトがあるのです。

コンピュータがデータを記録するときは、本文の量がべらぼうに多いので、目次に当たるものが作ってあります。普通にデータを消すと、目次だけ消えるのです。本文は、上に別のデータが書き込まれるまではそのまま残っているのです。それを拾っていけば、かなりのデータが復元できます。

他に、別の機会に発表したデータなども収集してみましたが、もとのものには遠く及びません。全データ量が10GBくらいあったのです。

次に思いついたのが、外付けハードディスクのおまけ。復元ソフトの試用版が入っていました。これを試してみたら、なんと、フォーマットしたハードディスクのデータが、丸ごと見えるではないですか。フリーのソフトでもかなりのことはできますが、さすがに強力。元のフォルダ名までちゃんと残っていました。もっとも、試用版は復元可能とわかるだけで、実際の復元は購入してからになります。

これはもう、買うしかありませんね。オンラインで手続きすれば、その場で使い始められます。

かくして、悪夢は過ぎ去りました。データ量が多いので、今も横で復元中。ブログはサブのパソコンで書いてます。ファイナル・デ○タ、強し。命拾いしました。

それにしても、こんなこともあるんですね。「女難の相」なんて書くから呪われた?んじゃなくて、偶然のなせる技でしょう。大切なデータのバックアップは、面倒がらずCDやDVDに焼いておくのがいいのかもしれません。

2011年5月22日日曜日

占い師繁盛

昨日、アーケードで目についた光景。路上でやっている占い師のところに行列がありました。なんと待っている人の整理のための立て札まで。

並んでいるのは若い女性が多かったようですが、中には男性の姿も。行列にはちょっと驚いたのですが、血液型性格診断や、星占い、手相の本、変わらない人気を保っていますものね。

そういえば、大学の同級生に占いができる奴がいました。手相を見るのですが、聞くと、材料は服装でもなんでもいいのだとか。相手をぱっと見た瞬間に、全部分かってしまうんだと言ってました。

そういう風に分かってしまうせいなのかどうなのか、大学4つ目で(他はみな中退)、ちょうど4つ年上でした。まったく同じ服を何着か持っていて、毎日同じ服装でやってきてました。「お前女難の相がある」と言われたのを覚えています(笑)。

レナード・ムロディナウ(『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』ダイヤモンド社、2009)によれば、人間は、まったくランダムに並んだものからも何かの意味を読み取ってしまう傾向があるそうです。

どうも私たちは、世界が無秩序であることに耐えられなくできているらしいのです。だとすれば、占いが繁盛するのは、むしろ世の中が混沌として先行きが見えない故なのかもしれません。

おっと、占いからずいぶん話が飛躍してしまいました。繁盛してたのは、1回500円という格安料金のせいだったかも。

2011年5月21日土曜日

手作り改修法原稿

朝から、平湯先生と一緒に作ることになっている「学校図書館の手づくり改修法(仮題)」の冊子の原稿を書き直しました。取りあえず書けるだけ書いていたものを、目次にそって再編。

昼過ぎにはおおむね目途が立ち、かつ仕事も煮詰まってきたので、平湯先生のところで内容の検討。昼寝の後の平湯先生は冴え渡っていて、気持ちいいほどばしばしダメ出しがありました。

再び大幅書き直しですが、以前からの宿題がだいぶ前進したのでいい気分。夜は平湯先生と街に繰り出しました。と言っても、夕食を食べ、繁華街とその周辺を散歩しただけですが(アルコールなし)。

私も滅多にアーケード街には行きませんが、長崎の繁華街の中心から、たくさんの店が消えていき、かわりにシャッターと不動産屋の看板が目立つようになっていました。

老舗の書店はかろうじて残っていましたが、店舗縮小。ただ、配架には今までになかった工夫がしてありました。棚のあちこちに表紙が見せてありましたし、楽しげなコーナーもいくつか新設され、絵はがきなどの小物もそれなりに充実した品揃えになっていました。


そこで見つけた、カステラと桃カステラの絵はがき。おっと、こういう絵はがきもありですか。いいですね。小崎侃さんの木版画絵はがきと一緒に衝動買いしてしまいました。

ちなみに、10種ほどのシリーズの中で、桃カステラが一番売れているとか。よその人はあまり買わないでしょう、たぶん。長崎人の桃カステラに対する熱い思いがしのばれます。

2011年5月20日金曜日

水耕栽培

生き物の世話はどうも苦手です。図書館には造花ではなくて生きた観葉植物を置きたいと思うのですが、すぐに枯らしてしまうのです。たぶん根腐れが原因。あと、寒さもかな。



鉢はなかなかうまくいかないんですが、水耕栽培はほとんど大丈夫でした。コップに鉢から切ってきた枝を差しておくだけ。これでだいぶアイビーを増やしました。

ただ、問題は、水が本の大敵であること。この1年ほど、館内のあちこちに置いていますが、今日までのところは無事でした。永遠に無事かどうかは???

ちなみに、上の写真は、撮影のために場所を変えています。こんな危なっかしい場所にはさすがに置けません。

あ、そうそう、もう一つの天敵が生徒です。どうも、造花と生花の区別がつかない奴らが多いようです。手すさびに葉っぱをいじってしまうのです。「生き物だよ」というと「そうなんですか?」ときょとんとしてます。

ちなみに、去年、転勤のときS市の司書のみなさんにもらったストレリチアは元気にしてますよ。館内に大きな鉢はこれだけなので、有り難いです。

2011年5月19日木曜日

人生相談

昼休みの開館時間が終わって、次の授業が始まるまでのちょっとした隙間の時間に、滑り込むようにして3年生の女子が入ってきました。普段はあまり図書館に来ない子です。挨拶くらいはしますが、あまり話したことはありませんでした。

その子が、悩みがあるから聞いてくれというのです。「恋の悩み?」と尋ねたらそうではないらしい。

3年生だから勉強しないといけないけど、ちっとも意欲がわかない。土曜も日曜も、勉強しないといけなくて、家からまったく出してもらえない。

意欲が出ないのはどの教科もかと聞いたら、全部、との答え。あえて一つ好きなものを選ぶなら数学だというので、一番やる気が出る教科からやってみたらと言っておきました。受験勉強はあせらなくても大丈夫ということも。

土日については、勉強は集中してやることが大切で、一日中座っているのも必ずしも効果が上がるわけでもありません。午後からは出かけてもいいとか、その辺り、もう一度家族と相談してもらうことにしました。

言葉には出しませんでしたが、きっと「勉強しなさい!」「やってるよ!」なんて、家族と口論でもしたのでしょうね。


統計を取ると、教師というのは生徒の相談相手に一番なりにくい対象だそうで、私もずっとそうでした。最近それが少し変わってきたのは、図書館との関わりが深くなってからではないかと思っています。ふらりとやってきて、ぼそっと何かつぶやいて立ち去っていく生徒が結構います。また、カウンターの横の席に、係でもないのに座っていく生徒も。

教師の役目が何なのか、ということですが、生徒がいろいろなものを抱えて学校に出てくる、それを解決することはできません。解決しようなんておこがましい。でも、そばに寄り添って立つことで、少し生徒が生きやすくなるような在り方はできるかもしれないと思うのです。服装がどうのとか、眉毛がどうのということはちょっと脇に置いておいて。

その子は、放課後に会ったときには笑顔でさようならを言ってくれました。明日もそうして学校に来てくれればよいがと思います。私もまた、鍵を開けてカウンターに座り続けなければ。








2011年5月18日水曜日

掲示板取り付け

こども図書館にあった、小さなすのこ掲示板を平湯先生からもらっていたのですが、それをやっと取り付けました。


場所は、校舎の玄関から入ってすぐの階段を上がったところ。玄関からも見える位置です。


図書館に行くには、この階段を上がり、校舎の反対側まで行って、それから渡り廊下を通らなければなりません。生徒の2/3はこちらの校舎を使うので、何か気を引くものを置かねばと思っていたのでした。

取り付け場所は、窓の関係でやや低めですが、階段下から見上げると低さは感じません。

電動ドリルにコンクリート用のキリを付けて壁に穴をあけ、鉛でできたプラグを打ち込み、そこにネジ止めするという作業が必要です。

庁務員の方にお願いしましたが、壁が固くて難儀してました。壁の穴あけは、注意してやらないと、穴がずれたりしがちです。




2011年5月17日火曜日

製本講習会~S市職員研修

前任校にいたころやっていた研修会。製本講習は好評でした。


参加者のみなさん、真剣にかつ楽しくやっていただきました。この写真は、文庫本をハードカバー仕立てにしているところ。

自分の好みの布で作った表紙をつけ、元の表紙から切り取ったタイトルを貼ると、「やった!できた!!!」という感じで、みなさんの笑顔が印象的でした。やっぱり手作りはいいな、と再確認。

製本の方法は、いろんな参考書が出ているので、参照してください。

例えば、『NHK 趣味悠々 お気に入りをとじる~やさしい製本入門』(日本放送出版協会、2008)は、写真をふんだんに使って、丁寧に説明してあるので、これ見るだけでも何とかなると思います。残念ながら新本は手に入りませんが、古本が結構出ているようです。


他に、平湯方式とも呼ぶべき、平湯先生開発になる製本方法も伝授いただいて、研修で使わせてもらったりしました。その方法については、また別の機会に(っていうの、多いなぁ)。

ちなみに、写真の奥で立っているのが司書のTさんです。

2011年5月16日月曜日

学校統廃合

今日は体育大会の振り替え休日。久しぶりに、前任校のあった西海市の学校司書二人と会っておしゃべり。私が3年間在籍していたときにお世話になった二人です。私の今までの教員歴の中で、はじめて司書といっしょに仕事のできた希有の3年間だったのでした。

西海市は私の自宅からは遠いので、中間にある、遠藤周作文学館で落ち合いました。海に面した丘の上にある文学館の横の喫茶室は、広い窓から五島灘の見渡せる気持ちのいい場所にあります。近くには出津(しつ)教会があって、ドロ神父ゆかりのドロ様そうめんなんてメニューもありました。

在任中から、市教委主催の職員研修をいっしょに担当していて、去年は私の都合でできなかったのですが、今年はまたやろうということで、その計画。

テーマは図書館なんですが、図書館担当者だけではなくて、教員全体が対象の研修(選択可)なので、そういう人にも役に立って、かつお土産つきみたいなことを、僅少の予算で実現しようという虫のいいハナシなのでした。そもそも学校司書がなぜその研修の担当するのか、よくわからないんですけどね。

ところで、私の前任校が今年度いっぱいで隣の中学校と統合されることになりました。蔵書や家具の移動についても相談しましたが、本の廃棄は原則できないとのこと。移転していく先の図書館もすでに書架はいっぱいで、いずれにしても蔵書を大胆に整理しないとどうにもならないでしょう。

仕事は大変になりますが、こういう機会を利用して、レイアウトも一新できれば言うことなし。Tさん、がんばってね。手伝うから。

2011年5月15日日曜日

『図書館員を志す人へ 前川恒雄講演録 付著作目録』復刻版、2007.3

平湯文夫先生の「図書館づくりと子どもの本の研究所」が刊行した、前川さんの純心女子短期大学での特別講義の記録です。


たくさん買っていたのですが、いろんな人にあげて、気がついたら手許に残ってませんでした。職場に市の図書館部会から配られたものがありました。

これを読んで私も図書館員を志してしまいました。

これを読むまでは、自分はあくまでも国語の教師だと思ってました。図書館のことも多少は手を出していましたが、第一ではなかった。

ただ、教師としての仕事の質がなかなか変わらなくて、行き詰まりを感じていました。図書館を媒介にして、自分自身の教師としての在り方が大きく変わったと思います。

それまでも、理念としては考えるところがあったのですが、なかなか実践に結びついていませんでした。

もっぱら図書館のことが述べられているのですが、私にとっては、図書館について教えられると同時に、教師としての仕事を見直す鏡になった一冊です。

なお、入手するには、平湯先生のところに直接注文ということになります。↓にある連絡先に電話またはファックスしてください。
http://www.hirayu.jp/about.html 
5部以上、1冊200円(送料込み)です。4部以下だと1冊400円。アマゾンに中古が一点だけ出てました。

2011年5月14日土曜日

西田博志『ようかいち通信』サンライズ印刷出版部、1997

印象に残った「本」というより、「図書館員」ということかもしれません。ナンバーワンは前川恒雄さん。次はこの人。どちらもお会いしたことがあるわけではありません。その文章からインパクトを受けたということです。


西田さんは、前川さんが滋賀県立図書館長だった頃に、八日市市立図書館の建設のために呼ばれてしばらく館長を務めた人です。その設立の経緯から退職までのさまざまな出来事を綴った通信をまとめた一冊。

実務的な話も参考になりますが、愛犬のことや、図書館を取り巻く自然のことなどの記述に西田さんの人柄がしのばれます。

中でも印象に残ったのは、15万円をはたいて購入したというゴリラのぬいぐるみのエピソードです。その中に、こんな言葉がありました(以下引用)。

温かさと安らぎを感じさせる、そういう図書館づくりこそやってみたい。スマートになりすぎた図書館に職員の手づくりの展示架がおかれたとき、私はそのことの大切さをあらためて思い知らされていた。ほっとする空間、そのなかでこそ人びとは自分の必要とする本に出会うことができる(この部分は、『子どもと読書』岩崎書店、1989からの転載)。

他には、子どもたちからの「前の(小さな)図書館の方がよかった」という批判を受けて、絵本コーナーに司書のデスクを置いたなんて話もありました。

図書館員として学ぶところも多いのですが、読んで心温まる一冊でした。

ちなみに、西田さんは、「脱NDC」のことも考えていたそうですが、そのことはまた別に書きます。

2011年5月13日金曜日

サーバー停止

正確な期間ははっきりしませんが、5月12日から13日にかけて、このブログを書いているBloggerのサーバーがダウンしていたようです。書き込みができませんでした。また、12日の投稿は、書いたのに表示されていませんでした。

フリーで使わせてもらっているサーバーではありますが、メールによる通知とかできなかったんでしょうか。いつの間にか止まって、いつの間にか使えるようになってました。

こういう形のコンピュータの使い方が持っている問題点ですね。サーバーの都合ですべてが決まってしまう。商業的な用途なら、予備のサーバーを別のところに構えるということになるんでしょうが、個人ではそこまでなかなかできません。

メールに関して言えば、どこへ行っても使えるので、グーグルやヤフーのメールを使ってますが、これだって絶対安全とは言えないのでしょうね。グーグルの方は迷惑メールほとんど来ないのでありがたいですが、間違ってはねられているものが100%ないとは限らないのかもしれません。

かといって今さら郵便には戻れないなぁ。

2011年5月12日木曜日

司書~図書館員の仕事

もちろん図書館員には多岐にわたる仕事があります。その中で、何が一番大切なのだろうかと思うのです。

学校図書館に関して言えば、答えははっきりしているのではないでしょうか。図書館がいつも開いていて、そこに司書がいること。

学校の中にそんな場所は案外ないのです。小学校はともかく、中学校ともなると、担任の先生がなかなかつかまらなかったりします。先生方は職員室ではいつも忙しそうにしています。保健室も、いつも養護の先生がいるとは限りません。割合安定的なのは事務室ですが、仕事柄、事務職員が子どもの相手ばかりしているわけにはいきません。

校長先生は、校長会なんかのお役目次第。役員なんかしてる人だと、ほとんど学校にいなかったりします。職員はまぁその方が働きやすいこともあったりして(笑)。役目がなくて割合ひまな方の人は、作業服着て外の草むしりなんかしてたりします。

常勤の司書がいてほしいと切に願います。私は、図書館担当の教師として、開館中はよほどの用事がない限り図書館を離れないようにしています。そのことによって安心して子ども達が来てくれるということがあるように思います。

できればそれが司書であってほしいと思います。教師は生徒から見ても「先生」だし、教師の側からも生徒は指導する相手にしか見えません。指導的なスタンスを保たなくていい司書は、私にとってはとてもうらやましい存在です。

完全に切り替えることは不可能なのですが、図書館の中では、なるべく教師ではなく図書館員としてふるまいたいと思っています。教師の世界では、賛同してもらいにくい考え方かもしれませんけどね。

余談ですが、学校では司書もスクールカウンセラーも全部「先生」って呼んだりするんですよね。生徒にもそう呼ばせる。どうして「さん」じゃないのかなぁ(個人的にはどちらも「さん」付けで呼ぶことにしてます)。

2011年5月11日水曜日

体育大会~中総体、司書の仕事

今度の日曜日が体育大会です。生徒達は、朝も昼も放課後も、準備やら練習やらに追いまくられています。で、図書館には閑古鳥が啼く...というのが例年の姿でしたが、今年は、朝の来館者と、貸出数は減っているものの(読む時間、ないのかな)、昼の来館者はまずます。

なんとかここを乗り切っても、次は6月初旬の中総体が控えています。体育大会が終わると、部活動をやっている生徒は、朝練、昼練とこなした上に、放課後も時間いっぱい練習ということになって、図書館にはつらい季節となります。

スポーツ関係の蔵書、バランスとしてはもっと増やしてもいいかと思いますが、このジャンルは回転が悪いんですよね。じっくり研究したいというのはもっともなので、仕方ないんですけど。


知り合いの司書(中学校2校掛け持ち)から電話があって、司書の仕事範囲について尋ねられました。教師の個人的な要望にどこまで応えたらいいのかというもの。

週2日勤務の中で、すべてのことができるわけはないので、どこかで線引きが必要ですよね。授業に使いたいという希望が出て少々忙しくなっても、そんな電話はかかってこなかったと思うのです。

臨時職員の立場から、教師にいろいろ言いにくいということもあるかと思います。

管理職や、図書館担当の職員と相談して、司書の仕事内容を職員みんなと確認した方がいいのでしょうね。図書館、大いに使ってもらいたいし、そのために司書も働いているので。まずは、管理職によ~く理解してもらうこと、必要ですし。


学校というのは、ともすれば部外者に閉鎖的になるところがあって、司書の方、そんなことを感じている人も多いかも。「開かれた学校」なんてキャッチフレーズもあるんですが、言葉だけ。

スクールカウンセラーなんかもそうですね。違う立場や、違うものの考え方を受け入れようとしない。スクールカウンセラーなんかいらない、と豪語する方も多くいらっしゃる。

ホントは、違う立場の人がいるから考えも広がるし、学校楽しくなるんですけど。何かというと「一枚岩」みたいな発想が好きな人が多くて。

で、最初に戻るんですが、学校文化の主要な部分を、体育会系の文化が占めていて、どうしようもない。本来はまとまるはずのないものを、力ずくで無理矢理まとめる。それで何かいいことあるのか?というような批判精神はどこかに吹き飛んでいます。

もっとも、そのような決めつけは、由緒正しい体育会系の方からは叱られるかもしれません。旧態然とした、理屈よりも根性、というような悪しき体育会系文化のことですからね、あくまでも。

2011年5月10日火曜日

コルク掲示板改造~H小

先日、H小を訪ねたとき、ちょっとした改造が目に止まりました。


写真ではほとんど分からないかもしれません。取り付け部分をよく見ると、こんな風になっていました。


最初は、壁面にべったり隙間なく取り付けていました。それを、ナットを2個かませて少し浮かせた状態にしてありました。もちろん、こうした方がより効果的。

H小の学校庁務員の方、腕もいいですが、何といってもセンスがいいのです。アイデアも豊富。こういう仕事がしてもらえる学校はやっぱりうらやましいですね。

2011年5月9日月曜日

丸の内オアゾ~M善丸の内本店

東京駅、丸の内北口を出て、横断歩道を渡ったら、すぐにこんなビルがあります。


いろんなお店が入ったビルで、写真の左側部分は、ガラスの壁で中は吹き抜け。


床の案内図、ピンクの部分はM善書店が入っています。大きいです。書架は天井近くまでのスチール高書架が使ってあって(灰色の、最低のやつ。脚立が要ります)、とにかく本の数は多い。専門書に関しても、そこそこ揃っているようでした。ビジネス街の中心らしく、1階の大部分はビジネス・経済書が占めてました。

しゃれたビルの中の、垢抜けしない大型書店。さすがM善(私の母校の大学内の書店もM善でした)。ギャラリーや文具店もあるけど、おしゃれじゃない!お上りさんの私なんかがずけずけ入っていって恥ずかしくないのはメリット?

ここの目玉はたぶん、4階売り場のかなりの面積を占める「松丸本舗」でしょう。松岡正剛氏との共同プロデュースとのこと。著名人の蔵書を並べたコーナー(どこぞの受け売り?)や、松岡さんの考えを受けた独自の分類で本が並んでいます。棚板には松岡氏直筆でキャッチコピーが書かれていたりもして。

でもねぇ、せっかくの大胆な企画なのに、なんかワクワク感が足りないの。書架も凝った造りにしたつもりでしょうが、イマイチ。優等生M善の限界かな。それと、著名人の本棚っていうのは、ファンには楽しいでしょうが、そんなの何人分並べても、何にも出てきやしない。例えば「松岡正剛の千夜千冊」が一つあるくらいで充分じゃないでしょうか。

それでも話のタネに一度覗いてみる価値はあるかも。東京駅で待ち時間があったらどうぞ。八重洲ブックセンターにはもう行かなくていいやと思いました。

2011年5月8日日曜日

光と、闇と、レンブラント~国立西洋美術館

所用で上京。時間が少しあったので、久しぶりに国立西洋美術館をのぞきました。ちょうどレンブラントの展覧会やってたので。


予想通り大変な人出。ゆっくり見ることはできませんでした。アムステルダムのレンブラントハウス行くよりも、ずっと多くの版画見られたんですけどね。

もう、ずいぶん前から、東京で名のある画家の展覧会やると、中は休日の渋谷や新宿みたいな混雑になって、ゆっくり絵の鑑賞なんかできなくなってましたが、相変わらず。

レンブラント、割合、分かりやすいですしね。同時代に優れた画家いっぱいいますけど、一人突出している感じ。


私の好きな作品はこれ(画像はわざと不鮮明なものを使っています)。「キリストの説教」。キリストを多くの人が取り巻いて、説教を聞いているんですが、どうもみんなキリストの言葉を信じているようには見えません。(作品のきれいな画像はこちらへ→http://translate.googleusercontent.com/translate_c?hl=ja&langpair=en|ja&u=http://www.rembrandtpainting.net/rmbrndt_etchings/etchings_h/io.htm&rurl=translate.google.co.jp&twu=1&usg=ALkJrhipgL-vn3ikDBsZn1CL8GkCiphuvg

キリストの足許にはぽっかり空白があって、たぶんキリストに光が当たっているのですが、そこは周りの人々がキリストと距離を置いたために空白ができたように見えてなりません。後ろ姿だけで顔は見えませんが、子どもを抱いている一番手前の女性だけがまともに話を聞いているようで、キリストの視線もそちらに向いています。

ポスターになっている上の写真の絵も、レンブラントらしい人物や、その描いた絵は薄暗くて、キャンバスの縁の線と背後の壁だけが明るいというもの。なかなか一筋縄ではいかないレンブラントの作品です。

図書館とは何の接点もない話になってしまいました。あしからず。

2011年5月7日土曜日

本の買い出し

今年度になって2回目の買い出し。今年は月1回くらいのペースを目標にします。なるべくリクエストに応えること。それも、忘れたころに、じゃなくて。買ったらできるだけ早く書架に並べる。

問題は予算。新刊のめぼしいもの買ってたらそれだけでなくなってしまいそうですから。

ところで、年度当初の調査が教育委員会から来てましたが、「廃棄の数が購入の数をこえないように」との注記がありました。

一昨年、データベースを作成しており、その数が報告の数と一致していなかったので、修正を申し出たら(約2千の減)、一度に2千は困るというよくわからない理由で、千冊くらいの廃棄となったのでした(しかも、教委は学校長にうんと言わせて処理し、結果だけ伝えてきた!)。

今年こそちゃんと現実に合わせてもらわないと。そもそも国の学校図書館向けの地方交付税措置は、廃棄も見込んで以前より増額されてるんですから。

標準冊数の達成率が上がったから予算を減らしていいということにはならないんだよね。よろしくね。>長崎市教委 様

2011年5月6日金曜日

宿題~CADソフトの使い方

近々図書館作りの参考になる資料が二つできる予定です。一つは平湯先生の一大プロジェクト。もう一つは、平湯先生と私、及びお二人の司書の共同作業です。詳細はもう少し後にならないとお伝えできません。


で、CAD(製図用ソフト)で図面描きなさいという宿題が平湯先生から出たのでした。SketchUpで安直にやろうと思ってたんですけどね。

本屋に行って、一番新しくて、一番簡単そうな参考書を選んできました。

『はじめて学ぶJw_cad7』(ObraClub著、エクスナレッジ刊、2011)は、基本的な設定のしかた、線の引き方から始まって、順番にやっていけば、一応それらしい図面が描けるようになっています。

『はじめてわかる』の方は、もう少し詳しい操作をQ&A形式でまとめたもの。

中学校技術科の製図を思い出しました(歳がばれる。製図が技術科の領域から外されたのはずいぶん前のことでした)。必要よりも余分に線を引いておいて、後から不要な部分を除く、といった操作は手描きの図面のやり方をソフト上でできるようにした機能なんだと思います。

寸法を指定して図形が描けたり、基準となる枠(格子)の中で線を引いていったりと、やっぱりお絵かきソフトとはひと味違いました。設定のやり方なんかも、直感だけを頼りに使うにはちと無理があるようです。

使いこなすにはまだ先が長いですが、とりあえず、この分かりやすいテキストによって、図面が描けそうな気がしてます。

2011年5月5日木曜日

安野光雅の絵本展~長崎歴史文化博物館

なかなか見応えのある絵本の原画展でした。こどもの日ということで、高校生までは入場無料でしたが、あまり子どもの姿(というかそもそも来館者の姿)がありませんでした。残念!


展示物の高さは、子どもを意識してやや低めにしてありましたが、子どもを呼び込むにはもっともっと楽しいしかけが必要だったかも。

安野さんの絵本、どれも完成度が高いですし、文字がなくても充分楽しめるものばかり。それぞれの本が一冊の画集という趣ですが、原画の味わいは一段とよかったです。


安野さんの本の中で、私の一番好きなのはこれ『天動説の絵本』(福音館書店、1979)。絵もいいですが、文章もとてもよいです。教師になるずっと前、図書館なんかもまったく意識してなかった頃でしたが、出たときに買った覚えがあります。

これの原画は他のものにも増してすてきでした。古びた感じを出すための染みの入れ具合とか、装飾的な縁取りの、印刷には出てこない色合いとか。

他には、本や雑誌の装丁、表紙なども、かなり古いものから展示してあって、興味津々。

知的な世界と感覚的な世界がごく自然に一体となった安野ワールド、満喫できます。6月5日までやってるとか。連休前に紹介すべきでしたね。

2011年5月4日水曜日

P社百科事典~改訂版

書店に改訂版の現物が出ていたのでぱらぱらとめくってみました。

多くの項目が書き換えられているような印象です。そこはよしとしましょう。

ただ、書き直したから以前あった誤りや不適切な項目がなくなったわけではありません。「劇詩」残ってたし。

毛筆の書体で、楷書と行書というのを調べてみると、楷書については歴史的な解説がしてあります。行書については「楷書と草書の中間」という形態上の説明がなされています。

旧版では「行書は楷書を崩してできたもの」という解説があって、歴史的に見てその解説は間違いだと指摘したことがあるのですが(中学校の書写の教科書にも出てくることです。楷書より行書の方が古い書体です。編集部or執筆者は、「そんな学説もある」と言い張ってました。そんなものないよ)、その説を維持したかったんでしょうか?

それはともかく、対になる言葉の一方は通時的な説明をしていて、もう一方は共時的に説明するというのはどうなのか?項目間の整合性がないということになります。また、子ども用なんだけど、どのあたりのレベルを目指しているのか、やはり項目間でバラバラな印象です。執筆にあたって、学習指導要領や教科書を参照したりはしていないようです。

少ない例で断言するわけにはいきませんが、どうもこの出版社、編集があまい気がします。

市立図書館の司書の方が、P社は図鑑が強い、ということを言ってましたが、これも実は巻によってさまざまで、当たり外れが大きいです。そうなる理由は、実質的な編集は下請けの編集プロダクション(複数)がやっていて、その会社の力量(というか本作りの姿勢かな)にばらつきが大きいからです。

百科事典は本社が責任を持って編集していてほしいと思いますが、あやしいなぁ。あの杜撰な旧版でずいぶん稼いだんだから、もうちょっと何とかしてほしかったですね。

手許にあったらもう少しきっちり読み込んで判断できるんですが。誰か貸して(って、図書館行けば)。ちなみに、私のところは、旧版が信用できなかったので、新版を買う予定はありません。予算額に対して価格高すぎるし(価格が不適切なんじゃなくて、予算少なすぎ)。

2011年5月3日火曜日

ディスプレイの真髄~木城えほんの郷

図書館、というのとはちょっと違いますが、今まで訪れた中で、ここは別格という感じ。入る前からその感触は伝わってきます。



こういう自然の素材の使い方が実にうまいんです。


入ってみたら、こんな楽しげな家具や、みずみずしいセンスがすみずみまで行き渡ったディスプレイがあります。


オリジナルの家具のそれぞれが、子どもの視線の高さを大切にしていることがよくわかります。

何でもない段ボールや麻ひもが、とってもすてきな小物に変身します。ハトロン紙や、水彩絵の具の一はけも。この一見無造作な感じが実にいい雰囲気をかもし出しています。


あちこちに楽しげなものがあふれてます。それでいて、過剰な印象は受けません。

ま、ここは時間を作ってぜひ一度行ってみてください。私は冬場に行きましたが、閑かな森の中で、他に訪れる人もなく(平日だったので)、しばし心地よい時間を過ごすことができました。



2011年5月2日月曜日

建物の調和

通勤の途中で、ある結婚式場の横を通ります。1階が披露宴会場、2階がチャペルという建物です。今どき、神前結婚というのは、はやらないらしくて、知り合いの式で、神前だったことはほとんどありません。

あれ、疑似キリスト教式とでも呼ぶべきなんでしょうか。聖書の言葉と、賛美歌なんかがついていたりします。もちろん、指輪の交換もね。そして、なぜか神父(牧師?)様は、変なアクセントの日本語をしゃべる外国人であることが多い。お説教の一部は英語だったりもします。

何か絶対的なものの前で誓いでもしなければ、ただでさえ高い離婚率がますます高くなるかもしれませんが、もはや結婚式は、クリスマスなみのファッションにすぎなくなったんでしょうね。

おっと、建物の話をするんでした。その式場は、正面がギリシア神殿風。列柱と三角形の破風がしつらえてあります。そして、なんと屋根の上には鐘楼らしきものと、そのさらに上に十字架がかかっているのです。

ギリシア神殿に十字架ですよ!設計した人、何も感じなかったのかな?

で、ハウステンボス。ここはオランダ人の友人が、落書きがないことと、背後に山が見えることを除けばオランダそのものだ、と言ったくらいよくできたコピーです。本場の技術者と材料をぜいたくに使って作ったんですものね。

普通のテーマパークとはひと味違う、大人がゆっくり滞在できる街造りをしたはずだったのでした(そんなもので採算取れるわけがない、とは思わなかったらしい)。ヨットハーバーの、海からの入り口なんかも、ほんとにオランダの港そのものです。

それがですよ、ユトレヒトの塔のコピーの近くには、ゴーダのスタッドハウスが建っているんですが、このゴシック風の正面は、他の建物の様式とまったく違っているのです。周囲の景色とまったく調和してない。色合いもここだけ明るすぎ。これですべてはぶちこわしです。

他にも派手すぎるイルミネーションなんてのもありますが。

せっかくのこだわりの街造りが、ディズニーランドと五十歩百歩のものに成り下がってしまった印象です。しょせんはお子様向けのテーマパークだったのですね。

2011年5月1日日曜日

船乗りと読書

無理矢理のテーマですが、船乗りはみな読書家です。だって、海の上、することがありません。時間がたっぷりあるのです。陸の上の時間とは別の時間が流れている気がします。

航海に出るとき、本は必需品です。長期航海をしている人たちは、港で出会った別の船と、よく本を交換します。もちろん情報も一緒に交換するので、よかった港というのは知れ渡ります。

港からちょっと離れるだけで、陸の上とは別世界が広がります。普段眺めている景色が、視点を変えるとこうも違って見えるのかと思います。

イメージに遊ぶ、という要素も大きいのかも知れません。「行ってみたいな、よその国」なんですが、そのまま走り続ければ、よその国にだって行けるのです。

定められた道がない自由というのもあります。道は自分で選ぶ。というか、選ばなければなりません。

ね、案外読書と共通点、多いでしょ(ほんと、無理矢理)。